景気対策 2

 今回の治療を受ける前には、頭には髪の毛が2〜3セントほど生えて来ていて黒ぐろとしていたのだが、その髪の毛も今はふたたび全部抜け落ちてしまい、ツルツルテンのスキンヘッド状態である。 おまけにアゴ鬚や口髭だけでなく眉毛もかなり抜け落ちてしまい、娘は怖い顔になったよ、笑っている。 また爪も先の半分ほども腐って来ていてふたたびフニャフニャ状態である。 これらはすべて目に見える抗がん剤の後遺症である。

 この間オフは橋本治の『双調平家物語』15巻を読んでいた。
 この平家物語大化の改新よりまだまだ以前の武列天皇の継嗣が絶え、時の実力者大伴金村が越前からある男を連れて来て、亡くなった武列天皇の姉と結婚させて継体天皇としたのだが、そのあたりから物語が始まっていたと思う。 そして栄華を極めた平家の滅亡を経て、頼朝が鎌倉に幕府を開く約700年間に渡って時の皇室や貴族達の争いや新興の武士たちの興隆、没落が展開されている。
 この内、平安朝末期摂関政治の頂点を迎え、この世をば我が世と思ふ・・・と歌に詠んだ藤原道長以降に絞って大まかな流れを記すことにする。 道長の後摂関政治を嫌った後三条天皇が亡くなり、その後を白川天皇が継ぐ。 この天皇はその権力者としての力を、長きにわたる王朝で最大限発揮した天皇でもある。 幼い息子に天皇の位を譲り、それを後見するとして自らが政務を執った。 いわばそれまでの摂政、関白の名目で政務を独占していた藤原氏の立場に天皇自らがなったのであり、これが我が国独自の院政の始まりである。 しかも朝廷を離れた身であるので地方豪族から荘園などの寄進を受け、皇族の身でありながら荘園を自己所有をするようになった。 しかし、それこそがすべての土地は国家(=天皇)のものであるとした律令制度の根本を、皇族自らが覆すものであって、ますます朝廷の力は地に落ちて行くのである。 また性的にもお盛んな人であって、身分の上下を問わず多数の女と関係を持ち、女(男色も)関係が乱れ、加えて関係を持った女を次々と寵臣に与えた。 それは天皇である息子も同じで、自らの妃が生んだ子が父の子ではないのかとの疑念に囚われてしまう。 それが皇位の継承を乱す遠因になって、和漢の間類少きの暗主と言われる後白河天皇の誕生を生む。 その治世に保元、平治、以仁王、源平の乱と都を中心に戦乱が相次いで起きることになり、それまでの皇室、貴族支配から新興の武士団へ権力は移っていく。 その乱の間隙をついて信西藤原信頼平清盛木曽義仲などが覇権を手にしては消えていく。 武士の一方の頭目源氏も保元平治の乱で親子兄弟で内輪争いをして自滅した。 が後に頼朝が関八州を制して鎌倉に幕府を張ることになる。 しかしその頼朝亡きあと源氏は内部争いがもとで子孫が絶え、北条氏が執権として鎌倉幕府を継ぐことになる。
その時代の中に生きる人々は目の前の人と人の関係の中で動いている。 人には様々な欲望がある。 その欲望は満たされることは少なく、むしろ満たされないことが多い。 そこに人々の恨みや怨念が生まれてくる。 その恨みや怨念が人々を動かし、その恨みを軸にして新たな展開を生まれ、その展開から新しい時代が少しづつ貌を表してくる。 しかし本当はその恨みのもとに所有する領地や荘園の利権が隠されているのであるが・・・ この物語を読みながらオフが強く思った事は、いったん時代の歯車がゴトリと動いてしまったら、もう二度と後戻りはしないと言うことである。 しかしその時代の中に生きる人々は一様にそうは思わない。 世の乱れの中にあって人々は何を思うかと言えば、もう一度かっての良き時代を取り戻したいと望むだけである。 その良き時代とは自分たちが記憶する直前の良き時代のことなのである。 そこへもう一度時代を戻して、かっての繁栄や栄華を再び謳歌したいと望むばかりなのである。 しかしいったん動き出した歴史の歯車は二度と後戻りはしない。 これだけは動かしがたい事実なのだ。 これは何も平安朝の頃だけの話ではない。 90年代のバブル破裂の後、公共投資をに100兆円もつぎ込んで無駄にしたのは、なせだろうか? それに懲りず今政府が自動車産業に多大な税金を回そうとしているのは、なぜだろう? 人のやっていることはいかに時代が変わろうと少しも変わっていないのである。
 ここで、ゴォ〜ンと鐘が鳴って、遠くから低い声の亡者達の合唱が聴こえてくる・・・祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必滅の理を表す おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし〜 
 さてさて、お遊びはこれくらいにして・・・ここらで昨日の景気対策について話を戻そう。  一昨日は ≪簡単にいえばお金を出す出しどころを間違えているからである。 間違ったところへ出すくらいならむしろ出さない方がよほど良いのである≫ と書いたが、それではどこへ金を出せばよいのか・・・という問題に戻る。 時代の中にあって先の事を分かる人はまずいないと言ってもよい。 それが分かるということは、すなわち未来が見通せるということであるから、そんな人はいなくて当然だ。 だが、次を予言することは出来る・・・間違っているかもしれないが、予想する事は出来る。 そこでオフの予想を簡単に書いてみようと思う。 これは予想と言うよりオフの願望であると言ってもよい事だが・・・。 これは何度かこれまで書いていることだが簡単に書き記すと、目に見える経済成長が止まり不況が常態化すると、総体としてのしての仕事や給料も減ることになる。 そんな社会を維持していくには取り分のアンバランスを認め、沢山取る人とそうではない人と区分けして、沢山取る人のやる気で社会を引っ張っていく。 一時言われた勝ち組と負け組であり、いわゆるアメリカ型の競争社会がモデルである。 一方少なくなった仕事を個々の人の取り分を減らしてでも分けることで、全体が少しずつ貧乏になることで社会を全体を維持していく、ワークシェア―と言われヨーロッパ労働党的な考えである。 どちらにも一長一短があるが代表的な例を一つだけ記しておく。 まずアメリカ型だと内外に社会的な緊張が高まり、背後に強い軍隊や警察力が必要で、それに馬鹿にならない費用が掛る。 ヨーロッパ労働党的だと、その維持に費用は少ないが経済的な成長力が弱まっていく。 オフとしてはこれからは後者の社会が来る方がベターだと考えている。 たしかに仕事は減り稼いでくる収入は減る。 しかし働いていた時間が減って自由な時間が増える。 今までだと、目一杯働いて少しでも稼ぎを多くして、それを消費してモノやサービスを沢山手に入れるのが豊かな生活だと考えられていた。 またそのようにして人々がどんどん消費生活をしないと経済はたちまち行き詰ってしまうのである。 消費を当てにして企業も次々に新しい新商品を開発して買いを誘う。 または新しい技術を開発してそこへ投資してさらなる新しい消費を生み出す。 これがいわゆるイノべーションの考えであり、経済学者などはそこへこそ景気対策費を投資しろと一様に言っている。  ー続くー