ああ、間違え・・・

 昨夜も前日と同じように夜になって熱は38度まで上がったが、その後37度台で推移した。 今日は外泊終了日で9時に病院へ戻り、採血採尿をしたが、病院へ戻ってからは熱は36度台に戻った。 採血の結果感染を示すCRPは0・1で正常、ただ白、赤血球、ヘモグロビン、血小板の値は先週末よりも下がっていた。 しばらくこのまま様子を見る、ということになるだろうと思う。

 今日も昨日に引き続きこの間考えた多発性骨髄腫についての考察をもう少し書いておく。  あるサイトに以下のようなQアンドAがあった。 
 ≪Q2:多発性骨髄腫を統計学的にみるとどうなりますか?
 A2:多発性骨髄腫はアフリカ系米国人(黒人)には多く発症し、その頻度は10万人あたり約9人です。これに対し、わが国を含むアジア諸国の発症は、人口10万人あたり2人程度と低いのです。発症の年齢は65〜70歳がピークです。男性が女性より多く、約60%を占めます。≫
 別のところで黒人系と白人系の発病比較があって、たしか白人系もアジア系とだいたい同じような割合だったと思う。 ということは黒人系の発病率だけが他よりも4・5倍も多いということになる。 この事実に関してのオフの愚考した仮説を書いてみる。
 現在の我々の祖先であるホモサピエンスがこの地上に現われたのは15万年前と言われている。 そしてその内の有力な一つの説が、現人類はアフリカで出現しそれがユーラシア大陸へ移動して世界中に広まるようになったという説である。 現人類は皮膚の色で黒人系、白人系、アジア系に分かれている。 アフリカで現人類が出現した時の肌の色は黒かったのではないかと推察できる。 その後どの時点でそのように分かれたのかオフは分からない。 そこでその肌の色の分化が起きてしばらくして人類の遺伝子に何かが起きたのではないかと考える。 その時点でのある遺伝子のボックスが開かれてその子孫たちが生き残っていったのではないかと・・・。 さらに開かれたのはそれだけではなくて、中にはいくつかのボックスも開かれたのもあったのではないか・・・と。 分かりやすくするために話を簡単にする。 ボックスがA、B、C〜Gの7個あったとする。 その内Cのボックスが開かれたものが生き残った。 ところが生き残ったのはそれだけではなくて、CとEのボックスが開かれたのも生き残っていたとする。 CのボックスにはN−14遺伝子を開くと書いてあり、Eのボックスにはある時点でCを再び閉じる、と書いてあったとしよう。 これでCだけ開かれている遺伝子を持つものはまったく発病せず、C、Eが開かれた遺伝子を持った子孫はある時点にくると発病することになる。 しかしこれでは完全ではない。 なぜなら多発性骨髄腫は遺伝があることは認められているが、その子孫が必ずしも全員発病する訳ではない。 そこでEにはさらにE−1というボックスくっ付いていて、そこには**の場合だけ閉じる、と書いてある・・・とする。 そうすればE、E−1の遺伝子を持つものは発病する場合としない場合があることになる。 さて、ここで示したようにEからE−1、E−2、E−3・・・というように派生していく次の情報を付け加えるような広がりを持つことが昨日の日記に載せた利根川博士の遺伝子再構成の理論の≪細胞分化のプロセスの過程で、いくつかの遺伝子の断片を寄せ木細工のように集めて1個の遺伝子をつくるというメカニズムのことです≫の例えとして分かりやすく考えることも出来るような気がする。 また<**>についてだが、これはとりあえず現在分かっていない発病の真の原因としておこう。 さて話を最初に戻して本題の黒人系と白人、アジア系の発症の率の違いだが、同じ人類でありながら皮膚の色でボックスの開く率が違うことはあり得ないので、当時の黒人系と白人系とアジア系の人口比がたまたま9対2対2であったと考えるのが一番妥当な考えだ、ということが出来ると思う。 また男女差の比率もこれと同じことが言えるのではないかと考えるのだが・・・あくまでこれらはすべてオフの仮説であるが・・・
 とここまで書いて後は日記に転載するだけと思い少し休憩していたのだが、この推論は間違いだということに気が付く。 つまり事実は肌に色によって発病率が違うのであって、それの説明に少しもなっていない間違った推論だと気が付く。 あらためて書き直すほどの気力は今ないので、忸怩たる思いだが間違いのまま転載することにした。