不安と因果

オフは長年お酒を飲み続けてきたが、肝臓が悪くなったという事は今までなかった。特に40代50代の頃は休肝日等なくて、ほぼ毎日1合〜2合のお酒を飲み続けていた。飲み過ぎて二日酔いになって今日こそはもう飲むまいと思っても、夜になるとまた酒を飲んでしまっていた。そんな中でたった一度だけ連日の深酒がたたって便所の中で背中が痛くて立てなくなってしまった事があった。結果は急性膵臓(すいぞう)炎で、3,4日寝込んだが、肝臓は悪くないと言われた。

 今日の採血の結果を知らされて驚いた。GOT58(40以下正常)、GPT70(35以下が正常)だった。普通ならこの程度はまだまだグレーゾーンといって驚くには値しないのだが、自分にとって初めての数値の上昇だったので驚いたわけだ。
 昨年の夏より半年間にわたりこれまで4回の抗ガン剤治療の後もこんな数値は出なかった。看護師に訊いてもはっきりした返事はない。もっとも、この看護師は頼りない看護師なのだが…。
どうしてだろうと病床に寝ながら不安になってきた。一人で考えていても埒があかないので、看護師の経験のある嫁さんのところに電話をした。彼女の答えは、「先週血小板の値が低くて輸血を3日続けて受けたことから来ているかもしれない」ということだった。輸血の後、肝臓の機能が低下する事はたまにある事だという。なんとなくこの答えに納得出来て気持ちがおさまっていった。
午後から担当医が来てGOT、GPTの値が上がったことについて、先週の輸血の結果で上がったのでしょうか、と訊いてみた。医師は「う〜〜〜ん」と言って「時間的な経過があるのでそれはちょっとないでしょう、この間CRPがずっと上がっていたので抗生剤を点滴で入れていましたからそっちの可能性の方が高いかな」との答えだった。
CRPというのは、細菌の感染を示す値で正常で0.5以下なのだが、一週間ほど8.5を最高に高い値が続いていた。とにかく来週初めの採血結果を見てみましょうと話で終わった。そういうふうに言われてまたなんとなく納得して、不安な感じは起きることはなかった。

 人間の脳というのは常に自分の置かれている状況というものを知りたいと思っている。その納得できる説明がなくなるとたちまち不安に囚われてしまうのだという。
近代の我々の考えを支配しているのはいわゆる科学的な思考法である。もっと以前はシャーマニズムや宗教絡らみの説明で納得している時期もあった。いずれにせよ自分が置かれている状況が分からなくなった時、脳は不安になり、その不安の原因についての説明を欲する。その説明で現在の置かれている状況の因果が説明され納得できれば脳は安心するのである。
このことはまたなにゆえに人間が自分のルーツを知りたがるかということにも通じている。現在の自分があることの因果を説明して欲しいのである。その事がひいては日本人とは何かとか、人類の誕生はどうであったのか、生物はどのようにして生まれてきたのか、地球の始まりと歴史はどうであったのか、さらに宇宙とはいつ始まりどのようになっているのか、それら全ての因果律を知ることで安心したいのである。
それでは何故脳は不安であり、全てを知りたいと思うのだろうか?それはたぶん人間の自我というものの成立にさかのぼるであろうと思う。そして自らの自我というものを時間の流れの中(時間というのも、脳が考え出したものだ)に置くことにした時から始まっているのだろう。
今自我と書いたが、自我と言う時に近代的自我を想定しているのだが、それ以前に心というか意識というものが成立したのは今から約3千年前の事だと、前世紀末にジュリアン・ジェインズという人が著作でその仮説を発表した。
この説では、3千年以前の人類は意識を持っていなかったという事になる。それではそれ以前のエジプト文明エーゲ海メソポタミア・中国の殷(いん)文明等の人々はどうしていたのか。その事について書かれた『神々の沈黙』という本を近々読もうと思っている。