相続の問題

 いよいよ今日午前中抗がん剤のアルケランの点滴が始まった。 前回の頃の日記を見ると、しばらく何ともなくて、夕食頃から不快感が出て来ている。 その後大型の空気清浄機が入れられて部屋がクリーンルームになっていた10日間ほど日記を休んでいる。 
 日本では現在婚姻の形は、男の家が女を嫁として迎えるというのが一般的である。 これは同じことだが逆に言えば女が嫁として男の家に入るということである。 嫁が婿となっても基本は同じことである。
 民俗学者柳田國男がどこかで一般民の婚姻の形は、まず男が女の家へ通うことに始まり、女はその男の妻となってもそのまま生まれた家で過ごしそこで子供も産み育てる。 男の女親が家事をするのを辞めた段になって初めて妻は自分たちの間に出来た子供を連れて男の家へ入る、というのが一般的な形だった、と書いていたと思う。 これは日本の一般民の婚姻や相続の形は女系と男系の中間をとったような形式だったともいえるだろうと思う。
 このたび「双調平家物語」を読んでいて、日本において男系の家主が定められるのが律令制度からと知った。 つまり班田を家主に貸し与えそれから租税を取る。 そして家主が死亡した時は班田の相続はその家の長男が継ぐと定められたことに定まった。 これは当時の中国の制度を日本がそっくり取り入れて、公的には男系相続なったということから始まったらしい。 日本では広く男系ではなくて女系の相続が行われていたが、律令によって相続は男系と定められた、という事だろうと思う。 しかし、現実的にはその折衷的な形がとられていたということだろう。 
 律令制度が出来た後の平安朝の時代の貴族なども、女の家へ男がしのんで行きそこで男女の関係が出来る。 その後も女はその家を動かず男の方が通う、いわゆる通い婚だった。 また勢力のある貴族の息子達の婿取りも頻繁に行われていて、その場合婿を迎える舅の側に婿を養う、つまり養育の費用を持つことになる。 そうすることで舅の側は権勢との関係を誇り、そのおこぼれを受けるという狙いがあったようだ。 
 日本においては男系相続が実際だが、その場合どうしても嫁姑の関係がこじれることが多い。 また、老人の介護の問題でも嫁が舅や姑の世話をするよりも、実の親をみる方がすんなり受け入れられることが多いようだ。 実際問題を考えるなら日本においては女系の相続形式の方が男系相続よりも問題が起きにくいような気がする。 柳田國男が指摘するまでもなく、明治以前の日本ではそのへんの厄介な問題を回避する一番現実的な婚姻形式がとられていたのではないかと思う。 これは日本人の知恵のようなものだったような気がする。