死を覚悟して、死を思わず

 今日から再入院となった。 さいわい最初に入っていた個室が空いていたのでそこの部屋に入ることになった。 二週間程いろいろな検査が続きその後自家移植が始まるが、その時もこの個室に大型清浄機を入れて引き続きクリーンルームとして使われることになるようだ。
 昼の食事に食堂へ行ったが、前にいた時に見かけた顔はほとんどいなくて新しい患者さんの顔ぶれになっていた。 入れ替わってしまったのだろう。 前にいた四人部屋の前を通ったがそこには同室だった重症のMさんの名前はなくて、ナースステーションのすぐ横の個室に移されていた。 かなり悪い状態なのだろうと思える。
 当分は検査、検査の毎日だろうが、と言っても比較的のんびりとした状態で過ごせそうだ。 天気の良い日は検査の合間に病院の周りを散歩してみるかぁと思いながら6階の病室の窓から下を見下ろした。 この窓だが抗がん剤の治療を受けていて苦しかった時に、眠れない三日目の夜中だったと思うが、鍵を勝手に開けれる六階の窓というのは危ないものだなぁ・・・などと思ったこともあった。 その時頭で危惧していたのは患者が窓から飛び降りることだった。 今はそんな事を思ったりしないが、当時そのように思ったという事は、ボンヤリとだが<死>という問題が頭の中を占めていたからだったと思う。

 この間少しずつ読んでいる『双調平家物語』はようやく10巻へ進んだ。 保元の乱が治まり三百年にわたって政治を支配してきた藤原氏摂関家が傾き、いよいよ源氏と平家が都で直接相まみえて戦う平治の乱へと進んできたところである。 賊軍となった源義朝が<この戦は負け戦になる>と覚悟して内裏の郁芳門から囲む平家の兵千騎の中へ起死回生を狙って打って出るところである。

 <義朝は思う・・・生死は天の裁量、人にはいずれとも知れない。 その覚悟なら義朝にもある。 しかし、無駄な覚悟は駒の脚を鈍らせる。
 死を覚悟して、義朝は死を思わなかった。 生をもまた思わなかった。 ただ、生死を分ける合戦がある。 「分けるのは自身である」と思う義朝は、娘の顔を見ようとはしなかった。>