歴史、未来

 今日は外来受診日で診察を受けに行った。 その席で次の入院日が3月2日と決定した。 中頃になるかもしれないと言われていたが、繰り上がって早くなった、エッ!2日と言えば来週じゃん!
 この間二ヶ月とチョイ仮退院していたわけだが、病状というか抗がん剤治療の後遺症が少しはよくなったかと言われても・・・悪くなったという事はないにしろ、よくなったという感じは少しもしない。 一昨日も突然激しい下痢に見舞われだのだが、その後少しお腹の調子がよくなったのは事実だが、しかし、これは続かないだろうなぁという予感がある。 最近は良くなれば必ずその後その反動で悪くなるのが当たり前、という風に捉えておけばさほど落ち込みもしない、ということを知った。

 明日のことどころか、今起こっていることさえまったく分からない自分がいる
 自分が何を考えようと、何をしようと、それには何の関係もなく明日はやってくる
 ・・・のだろうか
 ところで、今日の私の選択が明日に何かを引き起こすこともある
 そんな可能性について想像することから・・・
 何かが始まることもある
 人の人生が<今>充実している と言うことは、どういうことだろうか?

  またまた内田樹氏の今日のブログhttp://blog.tatsuru.com/から問題を取り上げることにする。
 ≪歴史の勉強をすると、「出来事Aがあったために、出来事Bがその後に起きた」というふうに書いてあります。歴史的事件はまるで因果関係に基づいて整然と配列されているかのようです。けれども、ほんとうにそうなのでしょうか。というのは、私たちの世界で今起きている出来事の多くは「そんなことがまさか現実になるとは思いもしなかったこと」だからです。≫
 ≪ 歴史上のどんな大きな事件でも、それを事前に予見できた人はいつでもほとんどいません。 同じことが未来についても言えるだろうと私は思います。 私たちの前に拡がる未来がこれからどうなるか、正直言って、私にはぜんぜん予測ができません。わかっているのは「あらかじめ決められていた通りのことが起こる」ということは絶対にないということだけです。≫