ポストライムの舟

 昨日はお腹の調子が悪く午後から鋭い痛みを伴い始め、とうとう夕方には激しい下痢をした。 その後も調子が悪勝ったが、悪いものが一掃されたのだろうか、今日に入ってからは身体の調子は徐々に戻りはじめている。
 最近はケーブルテレビで放送大学を見ることが多い。 教授陣もタレントのタモリが演じるような如何にもといった現実離れをした人ばかりではなく(たまにそういう人もいることはいるが)それぞれの分野の最先端の動向や考えなどを分かりやすく流暢に説明してくれる。 しかし現実の流れが早く昨年後半のリーマンショックを経験した現在にあっては、経済学やイノーべーション理論で新自由主義やリバタリズムの流れが現在をひっぱり未来を開いていくような講義されても、訊いていてたちまち白けててしまう。 教える側も大変な時代だ。
 嫁さんが母親の受診に行った病院で読むのに買ったという「文芸春秋」の中に今年前期の芥川賞作品「ポトスライムの舟」津村記久子著が掲載されいてそれを読む。 作者は現在三十歳過ぎの団塊ジュニアの尻尾の世代である。 まあちょうどオフの子供たちの世代ということもあって、彼らの世代が何を感じ、何を考えて日々を過ごしているかということに興味を感じて読んでみた。
 主人公は作者と同年代ぐらいの今時の契約社員で、独身、彼女の周辺にはバツイチで子持ちだったり、子なしだったり、離婚を悩んでいたりする同じような女友達が三、四人いる。 主人公も過去の就職でモラルのなさをタテに先輩からハラスメントされて三年で会社をドロップアウトしている。 今の会社では当初のパートタイマーから働きを認められ契約社員となったのだが、腕に<今がいちばんの働き盛り>とタトウを入れることを考えたりしている。 仕事へのモチベーションをもてないことを一番自覚して悩んでいるのが実は彼女その人だからである。 そんな時に会社の休憩室に張られていた世界一周クルージングのポスターが気になり始める。 参加費用は163万円。 計算してみるとそれは一年間彼女が今の会社で働いて得る給与と等しい額なのである。 会社を引けた後、友人のバツイチ女が一人でやっているカフェで時間800円代でアルバイト、また土日はお年寄りのためのPC教室の講師もしているから、切り詰めて暮していけば会社から貰う163万円はなんとか残せないこともない。 働きながらも逼迫した日々を送る今時の若い女性たちだが、たしかに彼女たちの狭い視線が届く範囲は、せいぜい彼女たちのチマチマした周囲までしか届いていない。 が、その狭い範囲を見つめながらも、その中から小さいが次へのステップへ、つまり明日を見つけ出して生きていく・・・そんな女たちの些細な物語である。 オフと同世代の選者の池澤夏樹が、<問題はこのこの生き方を肯定する今の社会の側にある・・・>と書いているし、村上龍もそれに似た評をしている。 しかし、今の時代の閉塞を日常の中で上手く捉えて描けていることだけでも、作者の力を評価する価値あるだろうとオフは思う。 この作品を肯定している石原慎太郎氏だが、相変わらずピンボケした評を書いているのが情けない。