記号

 これまで読んでいた村上春樹の、「壁と卵」のスピーチの訳文はどうやら抄訳文だったようで、実際に語られたスピーチの訳文が以下に載せられている。
 http://anond.hatelabo.jp/20090218005155
 
 そのことを今日の内田氏のブログhttp://blog.tatsuru.com/で知った。 内田氏もブログの中でスピーチ文を自分で訳しているが、訳文はその訳する人それぞれで微妙に違う。 さすがに内田氏のものは読みやすい、と言うか読みやすく、よく考えられている訳文だなぁと分かる。
 オフの勉強は高校時代の途中までで、その後意識的に学びを放棄してしまった。 よって英文の読解力は恥ずかしながら中学卒業程度しかない。 
 それを今になって悔やんでいるのだが・・・特に英語などの外国語と日本語、それぞれのワードの意味の微妙な違いを感じ取りながら学べば、これは尽きない興味に駆られるものだなぁ、とようやく最近になって知ることになったが・・・いかにせん気が付くのが遅すぎたようだ。
 話は逸れてしまったが、内田氏は今日のブログの結びのところで
 <System というのは端的には「言語」あるいは「記号体系」のことだと私はこのスピーチを理解した(「政治」は「記号の最たるもの」である)。
現に、このスピーチの中の「システム」を「記号」に置き換えても意味が通じる。> と書いている。 そういえば彼は前にも、秋葉原の殺人事件の時、人は目の前の見ず知らずの他人を殺戮するには、相手を記号だと見なさなければ殺すことなど出来ない、と書いていたと思う。 平家物語の中で、やあ、やあ、やあ、我こそは〜と敵に語りかけて戦いが始まるのは、まさにそれを厭うからこそ、あるいはそれをしなければ殺戮できないからこそ、そのような儀式をするのであろう。

 昨日嫁さんが留守の間に電話があり、出ると昔の女友達からだった。 昔と言っても大学時代の女友達で、彼女はかろうじて現在もつながりがある唯一の女性である。 彼女も同じ神戸に住んでいるのだが近況かいつまんで説明していると、大体のことは知っているわ、と言われた。 どうやら時々オフのこのブログを読んでいるとのことだった。 彼女は中高年になってからそれまで好きで習っていたヨガだが、いつの間にかそれの教える側になって、今もインストラクターを続けていると言うことである。 でも彼女によればそういった教室で教えていくにも、まわりといろんな問題があってそれが結構ストレスになるのよ、という事である。 オフも昔、一時太極拳などを教える教室へ通ったことがあるが、結構そういった教室の教える側の背後には縦の師弟関係と言うか、家元制度まで行かなくてもそれに似た上下の関係があるらしく、意外と大変であることを何となく知っているが、そういうことなのだろうか?
 嫁さんだが先週末、高校の同窓生の集まりがあって出かけて行った。
 その集まりは正式な同窓会とかではなくて、同級生にオペラ歌手になった男がいて、彼が演出し出演したオペラを観劇する会だった。 当日の演目は阪神の震災を扱った同級生が書いた脚本だったらしい。 嫁さんの通った高校は一学年10クラスもあるマンモス校だったと言うが、それにしてもその中からオペラ歌手が出るなんで、さすがに都会周辺の学校なんだなぁと思う。
 たまたま今日オフの高校同級生の会のホームページを覗いたら、今年のお盆に一泊で同窓会を開くと書き込みがあった。 今から半年後ということになるが、その頃には少し元気になって出席出来るとよいなぁ、と思う。