へいぜい強情

 内田樹氏が村上春樹氏の「壁と卵」のスピーチに付いてブログで書いている。
 http://blog.tatsuru.com/
 その中で彼は左翼を念頭において
 <こういう言葉は左翼的な「政治的正しさ」にしがみつく人間の口からは決して出てくることがない> とやや揶揄的に書いている。
 その中で使われている<弱さ>という語を同じように<強さ>という語に置き換えることが出来ると思う。 置き換えてみると以下のようになる。
 <彼らは必ず「強いものは正しい」と言う。
しかし、強いものがつねに正しいわけではない。
経験的に言って、人間はしばしば強く、かつ間違っている。
そして、間違っているがゆえに強く、強いせいでさらに間違いを犯すという出口のないループのうちに絡め取られている。
それが「本態的に強い」ということである。> となる。
 これもまたその通りである。
 人は弱さやこころの貧しさゆえに堕落することがあるが、と同時に強さや富めることゆえに堕落することもあるからだ。

 オフの田舎で使われている言葉に≪へいぜい強情≫という語がある。  田舎でもめったに訊かないのだがたま〜に使う人がいる。 正直のところオフもその語の正確な意味を知らないので、よって自分から使ったことはないが・・・・ その意味するところは、へいぜいは平生で普段ということだろうし、強情もそのまま分かるので、何となく分かるような気もするのだが・・・以前たまたまそれが使われた場に居合わせた時、たしか飲み屋でだったが、少しあいまいな顔のままフムフムと知ったように聞き流していた。
 昨年の夏弟が見舞いに来てくれた時、弟の高校時代からのその友人、オフも一度逢ったことがあり顔だけは知っている彼の友人の話が出た。 その男は東京の有名私立大学を卒業した後、田舎へ帰って家業の化粧品の小売業を受け継いでいた。 一時は商店街にある店舗のほかにショッピングセンター内にテナントとして新しい店など出したりして、あわせて三店舗ほど店を構えていたと言う。 しかし、世の流れから外れたのだろう、銀行から借りた負債が返せなくなりとうとう倒産してしまったらしい。 その後始末も片付かない一年ほど後、ガンに罹患しているのが分かり病院で外科手術を受けたと言う。 入院していても付き添う人もなく、というのは彼の奥さんは子供を連れて実家へ帰ってしまい、その後離婚を申し立てたらしい。 
 弟がオフと同じように当時入院中のその友人の話を出したのは、兄貴は幸せな方だよ、と言いたかったのだろうと思う。 その時その話を訊きながらフト思い出したのは時々田舎で使われている、<へいぜい強情>と言う語だった。 はたしてそんな時にイメージするのが適当な語なのかどうか分からないが、とにかくその時にその語が心に浮かんできた。
 結婚式の誓いに、富める時も貧しき時も、健やかなる時も病める時も・・・と言うフレーズがあるが・・・人には強い時があれば、同じように弱い時があるもので、人の世はなかなか思うようには運ばないのである。