日本男児

朝の5時ごろだったと思う。 寝室で寝ていると突然隣のリビングあたりから嫁さんの名前を呼ぶ声がした。
 その声は嫁さんの兄の声だと思って、アツチャンだ、と言うと、違うわお父さんよ、と答えながらながら隣に寝ていた嫁さんが起きた。
 起きて寝室を出て行く嫁さんは 「どうしたのね、こんな時間に・・・ハアハアとしんどそうに息をしながら・・・」少し険のある声で 「何かあれば電話すれば良いじゃないの・・・」 と怒っている。 それに続いて 「電話したけど話し中で出ないいんだがねぇ」 お父さんは答えている。
 「だったら携帯に電話すればよいじゃないの」 「携帯も話し中で出ないだがねぇ」 「お母さんがオシッコをしてシーツが濡れているんだがね」 などとやり取りしている親子の声が隣の部屋からしばらく続いていた。 お父さんはもともと愛知県の豊橋の人で、今でも昔の田舎の訛りが抜けなくて出てしまう。
 30分ほどして下の階から上がってきた嫁さんに 「電話の子機が倒れていたのかなぁ」と訊くと 「お父さんたら、昔から興奮すると何が何だか分からなくてしまってマトモに電話も出来なくなるの、そんな人なのよ」 とまだ少し怒っている。
 ボケが進行しているお母さんは今は終日オシメを当てていて、夜は二重に当てているのだが、せいぜい持つのが4時間ぐらいまででそれを過ぎるとオシッコがオシメから漏れ出してあたりを汚してしまうことがある。 そこで嫁さんは夜中にも起きて毎日母親のオシメを取替えに行かねばならない。 昨夜はそれが1時間ほど遅れてしまっての騒動だった。 それにしてもわざわざマンション上の階に住む娘に杖を付いて歩きながら知らせに来る労力を思うと、長年の連れ添った相手のオシメを取り替えた方がよほど楽だとも思えるのだが、そうはいかないみたいだ。
 戦前育った世代の日本の男たちは<男子厨房に入らず>と言われてそれを美徳として育てられて来ている。 彼らは、女のするような仕事に手を出すことは男たるものがすることではない、とされて育ってきている。 またその連れ添いである妻や女たちも、夫にそれをさせるのは妻の恥として生きていた。
 戦後の言論界で一貫して硬派の論陣を張っていた著名な評論家が、その妻が亡くなった後病身の自分の行末を儚んで自死したというニュースが数年前あった。 日本男子を自認して外へ向かっては威張っていた男たちが意外と日常生活では何も出来ない無能者であったと言う例は少なくない。 田舎でオフの近所に住んでいた老人が老妻を亡くした。 少し遅れて香典を持っていったオフに、パンツがどこにあるのかも知らないのだ、と言ってその老人は涙ぐんでいたという例もあった。 外部に向かって我こそは日本男児と見せて偉そうに振舞っている政治家もいるが、案外彼も家庭内では女手なしでは何も出来ない男かもしれない。 男が自立すると言うことは、そんなに大層なことではなくて、自分の身の回りのことを自身で出来るようになること、たったそれだけのことである。