ワークシェアリング

 今日のニュースに マツダが工場勤務の正社員を対象に、雇用維持の代わりに勤務時間と給与をカットするワークシェアリングを導入した、というのがあった。 さらに、自動車各社は新車販売の不振が深刻化しており、同様の動きが広がる可能性がある、とニュースは続けている。
 ここへ来て企業は人件費の削減、リストラを派遣社員から正社員へと広げはじめた訳だ。 数日前には富士通半導体子会社がワークシェリングをするというニュースもあった。
 http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/special/workshare/wo090110.htm


 これらの会社があるのはいずれも地方であって、ただでさえ不況のシワ寄せが来ている地方にとって重苦しい問題ではある。 これを短期的に政治的な救済策は何か・・・と捉えると、先に舛添厚生労働相が「製造業にまで派遣労働を適用するのはいかがなものか」と発言したが、せいぜいその程度の反応しかすることしかないだろう。 同じように民主党など野党も、製造業派遣を原則禁止する労働者派遣法改正案を今国会に提出する動きを見せているとあるが、これも妙案もないまま、とにかく何とかせねば・・・という焦りにも似た動きをしているだけである。

  今現在、働くということはほとんどがどこかの企業に就職して、そこからの給与を貰うということと同義語となってしまった感がある。 同じように生活するということは、どこかの企業で働いて、そこから貰って来た給与で必要なものを買い揃えること、と同義であるかのように考えられているようである。 しかし、本来働くと言うことや、生活すると言うことはそうではなかっただろう。 そのような狭義の意味だけではなかったはずではないか・・・。
 高度成長時代は終わり、経済はまさに低成長の時代である。 そういう中にあってもう一度働くとか、生活すると言うことの意味の見直しをする時期が来ていると考えられる。

  会社内で従業員同士がワークシェアーをすればたしかに個人個人の収入は減るが、だが、逆に考えれば、その分だけ自分で自由に使える時間が増えるということでもある。 見方を代えれば、われわれは企業で金を稼いでくるということは、われわれが自由に使える時間をある一定の時間をその企業に提供しているということでもあって、その見返りにお金を貰っているということも出来る。 企業へ行かなくなって自由になった時間を、われわれのために有用に使えばたとえ収入がその分減ったとしても、それを補うことは出来るのである。
 自由になった時間を自分の生活のために使えばよいのである。 そしてそれはそのまま働くという事ではなかったのだろうか? 本来的には働くという意味は会社で金を稼いで来るという意味だけではない。 それはつい最近資本主義が発達したこのごろになって出てきた狭義の意味での働くでしかななかったのではないか・・・。

 現在のライフスタイルはどういうものか・・・企業で働いてその稼ぎで生活に必要なものを買う、あるいは買い揃えるというのが今の時代のライフスタイルである。 そこではマイホームも教育も、出来合いのものを市場で買うということが当たり前となっている。 そのためのお金を稼いでこなくてはならないからわれわれは企業に勤め働く。 だからこそその企業が不況でモノが売れなくなると、そこで働くものの達の収入が途絶え、たちまちの内に生活が出来なくなる、ということが起きるのである。
 われわれは衣食住、これらは稼いできたお金で買うのが当たり前の時代に生きている。 たとえば現在憧れのマイホームを買うにはたしかに数千万円の金が要る。  そのマイホームを手に入れたいと思えば、現在われわれはそれに見合う数千万円分の余分な給料を稼いでこなければならない・・・それが常識なのである・・・と考えている。 がしかし、家などはその気になれば自分の力で作れるのである。 現にオフは50歳を過ぎてから、仕事を辞めてそれまでまったく大工などの経験なしに家を自力で作った。 たとえ素人でも家作りの基本的なところをサポートする仕組みがあれば、男だろうが女だろうが、家などはその気があれば誰でも作れるものである。 そして何よりも素敵なことは、それは結構楽しいことでもあるのだ。 金を支払って家を買って住むよりも何倍も何十倍も楽しいことなのである。 それこそが本来の意味での人が生活するということであり、人が暮らすということと同義のことなのである。 そしてそれは金をより多く稼ぐことがすなわち幸せと考える現代の単一な価値観を突き崩すだろうと考える。

 そのような社会の仕組みを考えていくべき時期が来たのである。 現在、突然自由な時間を上げますよ、と言われてもわれわれはどうしてその時間を使うか、どう有用にそれを使うか戸惑ってしまうだろう。 経済が低成長かゼロ成長時代に入り、稼ぎは少ないが自由な時間はある、という時代がもうすでに眼前に来ているのである。  だが、ここに将来を見据えた政治の出番があるのである。 政治の方向性というか、これからの社会を見据えた社会を実現する指針や方向性を打ち出し、そのことを人々に訴え、理解を得て、それへそれへ税金をつぎ込んで行く、それこそが将来へ希望をつなぐ政治の役割であるだろう。 それこそが日本のこれからの チェンジ!にも繋がるであろう。