歳の市

 退院して来てから一週間たった。 ようやくここ二、三日間で生活の要領みたいなものを掴んだ感じがする。 療養生活の基本になるのは、感染に注意して十分な睡眠と食事ということに尽きると言われている。 少し良くなったと言ってもまだ白血球は三千以下で、普通の人の半分ぐらいの値しかないので、いろんな菌への感染リスクが高い状態が続いている。 睡眠の方は病院ではアモバンという睡眠薬を一錠飲んで眠っていたのだが、帰ってきてからはこれを飲まないで眠るようになった。 問題は食事だが、一昨日あたりから食事の最中に一度休憩を取ることにした。 食事の最中に約30分から一時間ほどソファーか布団で横になるようにしている。  胃が縮んでしまったのか一度の食べれる量が少ないので、食事を二度に分けて食べることで食べる量を増やすようにしている。
 
 今日12月27日はオフの田舎では<歳の市>と言われる日で、街頭で今年最後の青空市が開かれる。 道端の出店ではおせち料理の材料になる数の子や酢だこなど、それに欅の木で造った餅つき用の臼や杵なども売り出されていた。
 オフが小学生低学年の頃の記憶だが、たしかこの日の朝に近郊の農家から沢庵に使う干した大根の束が届けられていた。 この沢庵用の大根は無料で届けられていたのだが、と言うよりその農家がその年に何回か汲み取りに来た糞尿の代金代わりとして届けられていたのだった。 当時はまだ各家庭の糞尿がお金になっていて、つまり農家は糞尿が欲しくて町の家庭の糞尿をお金を払ってまでして汲み取りに来てくれていたのだった。 まだ田舎では野菜造りなどに使う化学肥料がなくて、近郊の家庭の糞尿を汲み取ってそれを肥料として畑にまいて野菜を育てていたのである。 つい数十年前までは、その当地の内部で肥料と食物は循環しているリサイクル方栽培がなされていたのである。 汲み取っていった糞尿はそのままだと有機成分が強くて、田んぼの周辺にあった野壷といわれていた穴に一定期間蓄えられてある程度無機化してから肥料として使われていた。 その野壷に時々遊んでいた子供が落ちる、落ちると縁起が悪いと言うので子供の名前を変更したものであるらしいが、役場もそのような理由があれば簡単に名前の変更を受け付けていた、と言われていた。 オフの子供時代、実際に近所にその野壷に落ちた子供がいたが、彼の名前は変更はなかったはずだが・・・。 いずれにしろ今から五十年ほど前のことだが、全体におおらかな時代だったことはたしかで、オフの古い記憶にも良い印象としてだけ残っている。