石油こそがすべての力

 人が汗水流して自分の人力エネルギーだけで作れる農作物の量はタカがしれている。 せいぜい自分とその家族が食べれる程度の作物である。 それ以上になると、人力によるエネルギーではとうてい無理だし、それ以上に害虫などの対策、つまり作物の管理に手が届かなくなってしまうのだ。 農業でもって自給自足以上の作物を生産してそれを売って現金の収入を得るためには、ま広い土地を耕す農業機械を動かす余剰なエネルギー石油が必要だし、同時に病害虫などを管理する農薬などが必要になってくるのである。 石油がなければ売り物になるようなキャベツや米やあらゆる農作物をわれわれはもう作れない。 人はぜいぜい自分達家族が食べる分以上の農作物を作ることは基本的に無理なのである。 人為的に管理が出来なくなるからである。 大量の農薬などを作るにはどうしてもそれを供給してくれる石油化学工業が必要になってくる。 いずれにしても石油の存在なしには産業としての農業をやっていくのは最初から無理な話なのである。

 先のオフの情けない例がそうであるように、石油は麻薬のようなものである。 いったんその魅力というか、その力を知るともうその力を無視してやっていくことは出来なくなってしまう。 石油の成因は何かというとは未だに確定した定説はないらしいが、いずれにせよエネルギーであることは間違いなく、地球の内部に蓄積されていたエネルギーなのである。 それをわれわれは20世紀に入ったてから掘り出し近代工業を発達させて今日がある。 食だけではなく、衣、住の分野でも、今日われわれの身の回りにあるあらゆるものがもし石油の存在なかったらありえないものばかりである。 もし石油という地下に眠るエネルギーがなかったとしたら、情けないことにわれわれが誇る近代化も、科学も今日の繁栄はなかったろうと思われる。
 12月6日の日記<連帯責任と傲慢さ>でも書いたが、今日世界で巨大な富を生み出しているのは石油関連の企業ばかりである。 映画「ゼア・ウイル・ビー・ブラッド」の中で自分以外の他人を信じれない孤独な主人公を通して語られていたメッセージは <石油こそがすべての権力であり力である>ということであった。 その石油の力を前にして、オフも含めてわれわれは今さら質素で禁欲的な労働に戻ることも出来ないまま、いわば何も言い返せないような立ち位置に立っているだけなのだ。