優先的なリソース

 仮退院してきて四日ばかり経ったが、身体の調子は今ひとつ思わしくない。 病院で過ごしていた時はベッドから起き上がるのはせいぜいトイレに行くときぐらいだったが、家に居るとそうもいかない。 だいたいソファーに横になっているようなものなのだが、それでも何かと時々動いている。 それが良い意味では大切なことなのだが、今はそれさえもが身体に負担になってしまうみたいだ。 それに今は食べることがまず今の自分に課せられた課題で、それが体力を付けることの第一になるということは分かるのだが、情けないことに食欲はゼロ状態でとにかく食べれない。 今は娘も同じ屋根の下で一緒に過ごしているのだが、今まで人の食事をするさまを見てうらやましいなぁどと思ったりすることなどなかったのだが・・・その娘の食べっぷりを見ていて、うらやましいなぁ、と思ったりする。 とにかく今まで経験したことのなかったような小さなことが、自分の身体の中でいろいろと起こっている。 それらのことは、それがたちどころにどこかの臓器が不全を起すというようなことでない限り、医師としてはあえて放置して、時間を掛けて体調が戻る間で見過ごすという方針なのだろうと思う。 今の時期部屋が乾燥しているということもあるが、夜中口の中がカラカラに乾く。 そうなると舌も動かせないほど口の中がバリバリになりとても痛い。 そろそろ起き上がって枕元に置いてあるお茶を飲ん出口の中を潤す。 そんなことを夜中に何度か繰り返している。 それは日中も唾液の出が少ないことも影響しているのだろうと思う。
 オウムが起した地下鉄サリン事件でその後遺症で寝たっきりだったり、精神や肉体的な障害などが残りいまだにマトモな生活に戻れない人が多くいると聴いている。 毒ガスの摂取の後遺症だが、がん細胞を殺すために抗がん剤の大量の血液内への点滴も同じことが起きている。 こちらは医師の監視の下で行なわれている治療とはいえ、生きた細胞を殺してしまうような毒性の強い溶液の体内への摂取である。 これまで病院では、移植とか抗がん剤の大量摂取したがその後白血球の数値が上がらないまま、だんだん体力を消耗して亡くなっていく人もいろいろいた。 まあ、オフなども、もし治療を開始していなければ間違いなく今年か、来年中にはこの世とオサラバしていたと思える身であるから、こんなところでとやかく言えることは出来ないのだと思うのだが・・・ 

 今日、先日山の家の雪囲いをしてくれた田舎の友人達から、今そろって鍋を囲んで忘年会をしているところだ、と電話が掛かった。 田舎では昨夜から雪がちらついているらしい・・・友人たちは、早く良くなってまた一緒に酒を飲もうよ、と誘ってくれた。 それだけでもたいへん有難いことだ。 

 内田樹氏が今日のブログの中に ≪自分の存在がこの世界から消えてゆくそのときを「消失点」に擬して、それに基づいて自分がこのあと残された限られた時間の中で、何をするのか、何に優先的に有限のリソースを投じるのかを具体的に考えるというのは、とてもたいせつなことである≫
 と書いている。
 これは今のオフにとって、なるほど、でありまた、その通り、でもある。 かと言っても、これまで大したことをしてきたわけではないし、これからさして大したことが出来るわけでもない。 好きな本でも読んで、思うところをブログに書いて、まわりの人にはできるだけ優しく接す・・・それだけでも出来れば・・・それで十分満足できそうな気がする。