『斜陽』

 今朝主治医が来て昨日のことは何も言わないで点滴の針を打ってくれた。 この主治医も血液内科の医師としては注射針を打つのは得意な方ではないような気がするが、今日はスムーズに入って、よかった、よかった。
 午後に娘と男友達が訪ねてきた。 今日の夜三宮で催されているルミナリエという光のイベントを見てから飛行便で帰るのだそうで、挨拶に来たと言う。 その他のこともあってどうやら今時の若い人に似合わず律儀で気配りタイプの人のようだ。
 昨日から太宰治の『斜陽』を読んでいた。 この作品を読むのは40年ぶりぐらいである。 最初に読んだ時から太宰治はいずれもう一度読むだろうという予感があったが、60歳を過ぎてからようやくそれを果たしたことになる。 読む前にある程度予想していたことだったが、やはり若い頃読んだ時との印象が全然違っていた。 良く言われることだと思うが、人一倍強い強い自己嫌悪や絶望感をベースにして<生きることを恥辱>として捉えそれを悪戦苦闘しながら文章化した最初の作家である。 若い時にこの作家を読んでおいて良かったなぁ、というのが今回再読しての感想である。 また、この作品は最後の最後にさりげないからくりのようなものが仕込んであっただぁ・・・と気がついた。