コレラの時代の愛

 ウイルス検査の結果が出て陰性となった。 これですべてよしではなくて、昨夜から抗ウイルス剤の点滴が半分に減った。 さらに一週間程様子を見て、来週の採血の結果で陰性が続いていれば大丈夫という事になり、仮退院という手順のようだ。 だが、37度台前半の微熱は今日も続いている。 だとしても、ひとまずホッとしている。
 娘の男友達の一人がお見舞いに来てくれた。 オフはこの男友達とは前に一度東京へ出掛けた時に逢ったことのあって、新宿で映画を一緒に見た。 その映画の話になり、たしか「スリーハンドレッド」というギリシャのスパルタの勇者がトルコの侵略を身を捨てて食い止めるという話だったと思う。 
 娘からは、東京にいた頃男友達は三人いたと訊いていた。 オフが病を得て彼女が神戸へ移ってきて介護する言い出した時に、彼等との関係の事が大丈夫なのか少し気になった。 が、場所を遠ざかり、時を置くことで、関係が明らかになるという事はよくある事で、かえってそれが良い事かなぁと思い直した。 そういう流れというものは無理に止めようとか、進めようとかしても流れに竿差すということは、後になって問題をややこしくするだけだったという場合が多いものなのである。 そういう意味であえて遠ざかるというのも良いことだなぁと思い直したわけである。
 内田樹氏がどこかで政治的な運動とか、社会運動とかそれを最後に引き受ける人がいるかいないかによって、その運動が意義があるものだっかそうでないかの決定的な違いが出るのだ・・・というような事を書いていたと思う。 されにそれを違う言葉で言い換えるなら<弔う人がいるかいないかの違いだ>とも書いていたと思う。 男と女の関係もなかなか難しいものだが、現実的に言うならば最後はそれに尽きるのではないかと思えるようなところがある。
 先日ネットでたまたま「コレラの時代の愛」という映画の宣伝をみた。
 知らなかったが南米の作家ガルシア・マルケスの作品の映画化らしいのだが、とにかくこのタイトルの強烈なメッセージ性には驚ろかされる。 
 何と!51年9か月と4日間ひたすらある一人の女性を愛し続けた男の物語というのがこの物語のウリなのだが・・・この男はその間に600人のその他の女性と交わった、というオマケの話も付いている(笑) 女性の感覚でいえばそんなの許せないと言うか、そんなバカバカしい話!と腹を立てるのだろうが・・・ 男であるオフの感覚から言うならば、それだけの女性と交わりながらもなお忘れられないのがその一人の女性だった、という涙が流れそうな愛しい男の物語である(笑) それにこの映画の主人公を、コウエン兄弟のアカデミー賞受賞作品「ノーカントリー」で非情な殺し屋を演じた不思議なキャラクターの役者が演じているというから、ぜひ観てみたい作品の一つである。