晴耕雨読

 神戸に通う日々が始まった。 月のうち三分の一から半分ほどの日々を神戸の須磨のマンションで過ごし、残りを山の家に籠って図書館から借りてきた本を読んでいた。 その頃はすでに山の家は完成していて、まさに晴耕雨読の日々が始まっていた。 
 彼女の住まいは古く趣のあるマンションの三階と四階部分で、両親が三階に住んでいて彼らの介護のため、彼女は一日のうち半分は三階で過ごすという毎日だった。 母親の痴呆が進んだ今はとうてい無理だが、まだ知り合った頃はオフの山荘に一泊どまりの外泊に来ることも出来た。  須磨ではオフは近くの海岸を散歩したり、マンションの裏にある源平合戦で有名な一の谷から六甲山系の山々に登ったりしていたが、そのうちにそれらも飽きてしまった。
 そんなある日、新聞の不動産の売り出しのチラシにオフの目が留まった。 中古の一戸建ての売り出し物件のよくあるチラシだったが、その家の部屋取りが奇妙で何でこんな奇妙な部屋取りの家になったんだろう?と考えることがあった。 それ以来新聞のチラシに毎日目を通すようになった。 その中に近くの古い農家物件の売り出しがあり、わざわざ不動産屋に案内を乞うて彼女を誘って見学に出掛けたりした。 それからPCで関西一円の古民家の検索する日々が始まり、よ〜し、俺も古民家のリフォームを仕事に手を染めてみよう、という野心が起きて来るまでにはそんなに時間が掛らなかった。 経験といえばたった一軒だけ自力で古い家を改修したでけで、自分でもこれは少々無謀かなとも思ったのだが・・・ 近くにはなかなか適当な物件が見つからず兵庫県播州丹波、時には京都府岡山県まで足を延ばし一円の古民家を捜した。 遠かったが綾部市の上林地区というところに茅葺の古い古民家を見つけて、そこの一軒の家を購入して改修に入った。 半年の予定がおおよそ一年掛って終了した。 その後兵庫県の八千代町に移り、ここは瓦葺の農家だったが、ここは壁塗りは左官屋に任せたが九ヶ月余り掛って改修。 ここは売りに出すと同時に神戸大学の教授が買ってくれた。 次にすぐ近くの加西市に移りそこでも農家物件を一軒改修。 ここは床暖房などの設備を省いたので半年で終わっのた。 だが・・・丁度仕事が終わった直後、血液検査で癌の疑いありと言われ、再検査の結果多発性骨髄腫という十万人に一人か二人という血液の癌だと分かった。 その時はすでに骨の痛みは始まっていて、このブログを書く少し前に兵庫県立のがんセンターへの入院となった訳である。
 今の嫁さんと知り合ってから五年、籍を入れてから三年の歳月がすぎていた。 その嫁さんが五十を過ぎて今頃に結婚を考えているのだが・・・と古い友達に相談した時、今頃一緒になっても男の老後の世話をさせられるだけじゃないの。それよりこのまま一人でのんびり過ごした方がよほどマシだから、そんなの止めなさいよ・・・と諭されたのよ、と笑って言っていたことがある。 その頃元気だったオフもそれを訊きながら一緒に笑って訊き流していた。 病院のベッドに横になりながらその事を思い出して、涙が流れて止まらない夜があった。
 おおよそ十年前、前の妻が亡くなった後再び山の家の仕事を始めた頃には、自分の人生にこれまで書いてきたような展開があるとは当然のことながら思いもしなかった。
 山の家を改修していた頃思い描いていた自給自足の生活はいったん遠のいたが、この先身体が回復したとしても後何年生きれるか分からないが、少なくともその何分の一かの時間は山の家で静かに過ごしたい、と今は心に描きながら退院する日を待っている。