山荘の仕事

 一人で古い家を改修したと言えば、十人が十人器用な人間だねぇと言うのだが、オフは決して器用な方ではない。 仕事はアバウトな方だが段取りとか決断はどちらかと言えば人より早い方だと思う。 大工や左官仕事をそれまで一度でも経験した事があったかと言えば、ノーである。 ただし家を改修する前に職業訓練所へ半年の予定で通ったが、あまり役に立ちそうもなかったので五ヶ月で辞めてしまった。 それより近所の大工さんの小屋に二ヶ月通って大工さんの手元仕事をしたが、これは結構役に立った。 大工仕事の解説本を三冊ほど買って良く読んだ。 分からないことがあれば近所の大工さんにどんな基本的な事でも質問して、納得できるまで説明してもらった。 古い家は尺貫法で造られているので、メートル法は忘れて寸法は尺、寸だけを使って仕事をした。
 なおこの家は柱は広間はケヤキ、家の周囲はクリ、座敷などは杉で、梁には松材を使ってある。 特に広間は枠の内と言われる豪雪の北陸独特の太い梁の組み方をしてある立派なものである。 材はゆうに百年は越していると思われるが、栗の柱などを切って見ると断面はテラテラとひかっているくらい堅い。 そうそう、昨日は書き忘れたが、最後の一年間大工さんから木工機械を借りて、玄関戸とか部屋の舞良戸と呼ばれる板戸、障子戸などの建具もみな自分一人で作った。

 この家の改修を始めてまだ大工さん等の職人と一緒に仕事をしていた頃、オフの奥さんが緊急入院した。 病気は膠原病で、間質肺炎が急激に進行していて命は4か月しかもたなかった。 二人が一緒に暮らし始めて二十五年ちょうどその年の春、下の息子が家を離れた年だった。 
 オフは家の改修を断念した。 年が変わって三月、まだ半分雪に埋まっていた家を見に行った。 雪の降る中に静かにたたずむその圧倒的な存在感に打たれて、翌日から一人弁当を持参してコツコツ改修を始めた。 その年の妻の一周忌に、都会住まいの子供達に勧められてパソコンを購入した。 一年間程は山の家の仕事をしながら子供たちやせいぜい少数の友人と時々メールの交換をするのが楽しみだった。 その後息子にメーリングリストというのがあることを教えられ、そこへ入った。 丁度冬の時期で山の家の仕事は休み中で、そこでパソコンの世界の面白さにいわゆるハマってしまった。 ハマったのはパソコンそのものもそうだったが、淋しさを話し合える女性がいたという事が大きかった。
 バツイチの画家の女性と日に何度もメールを交換していたが、とうとう彼女が訪ねて来た。 彼女が格安なクーポンがが手に入ったと言って十日ほどトルコへ旅行する事になった。
 簡単な話のつもりだったが、長くなりそうな気配なのでまた続く。