今日は午前中、心臓エコー検査、心電図、肺機能検査などを受ける。来週から始まる自己移植を受るだけの体力があるかのチェックである。 いずれの検査も前に化学療法を受ける前の検査と同じ程度の数値が出たようだった。
 ここのところ日記が、かなり哲学的というか内省的な調子になってきている。 自分で読んでみてもあまり面白みのない内容が続くが、今の自分の置かれている状況を考えると、ある程度致し方ないかなぁと思ったりもしている。
 
 娘が今日から一週間ほどの間東京へ戻る。 今月いっぱいで東京の住まいが解約になり引き払うので、荷物を運び出して部屋を空にしなければならない。 荷物の運び先を確保しておくため先日当地で賃貸コンテナを借りていた。 ところが昨日須磨の近くのアパートやマンションなどを検索していた中なら二軒を不動産屋の案内してもらいその内のかなり安い4万のアパートを契約した。 築年数が古いアパートだが一応6畳間の2DKで値段の割には広い。 その礼金が高いといって何割か値切って、就職先が決まっていないので最初の何ヶ月分を前払いするという条件を出して決めてしまった。 十年以上も東京で一人暮らしをして自活してきただけのことはあるなぁと感心した。
 この娘は小学校高学年の頃からポツポツト学校を休むようになり、中学一年生の二学期から全く学校へ行かなくなった。 いわゆる不登校児で、当時はまだ登校拒否などと言われてまだ物珍しがられた先がけの時代だった。 オフも前の女房も娘の将来のことを案じて毎日心痛めていた。 何とか私立の高校へ進学したが、やはり登校出来なかった。 ほんの1時間ほど保健室へ登校したり、夏休み期間に一人登校したりして日数を埋め合わせ、高校は何とか卒業できた。 東京にあるアニメなどの声優を養成する専門学校へ行きたいと言いだして、そんなところへ行っても仕事などないんだと反対したが、私が生まれて初めてヤリタイことを言ったのに何でんダメなのよ!・・・叫ぶように言われ・・・これは仕方ないと承知して一人東京へ送り出した。 その専門学校を卒業したあともアルバイトなどをしながら東京で暮らし続け、十年以上経ったことになる。 今度オフが骨髄腫の患って入院したのを機に、付き添いをすると言って仕事を辞め神戸へ来て、嫁さんのマンションに泊り毎日病院へ通って来てくれていた。 東京で荷物をこちらへ送ってこちらへ戻り、オフの1度目の自己移植が終わった頃に当地で就職先を見つけて働き始めるという。
 
 考えてみたら高校を卒業する前も、その後東京へ出て行ってからも、娘と共に過ごしゆっくり話し合ったという事はほとんどなかった。 娘だけでな他の子供たちも同じで、高校を卒業して家を出て行ってしまうまでそんな機会は少なかった。 その頃のオフは仕事オンリーな人間で、家庭内はあまり口をきかない無口なほうだった。 息子たちから、子供の頃は怖いお父さんだったと思っていた、と訊かされて、エエッそうだったのか…と驚いた事があった。 しかし、振り返って考えてみると、そのような目で見られていても仕方なかったなぁと思えことばかりだった気がしている。
 娘はこちら神戸に移って来てからこの一ヶ月間以上毎日顔を合わせている。 そうだと否が応でもポツリポツリと話し合う事になる。 この間いろいろと話し合い、オフの病気を機にそのような機会が持てたことは本当によかったなぁと思っている。

 良い相手さえいれば結婚して家庭を築く事はベストチョイスだと思うが、この人となら苦労を共にしてもかまわない…などと思える相手となると、居そうで居ないのが現実である。 そこまでの相手でなくても、まあこの人でよいか、と思える相手がいれば何とかなるものだと思うが、あくまでこれは本人の納得の問題である。
 結婚の時に交わす約束、富めるときも貧しき時も、病める時も健やかなる時も、ともに歩むことを誓うか・・・これは簡単そうでなかなか難しいことであり、人はこの誓いをいとも簡単に破ってしまうものなのである・・・だからこそわざわざ結婚前に誓い合うわけであるが・・・かと言ってどうしても嫌になってしまった相手と共に暮らし続けることは地獄の日々だろうし・・・この問題にこれがベストだという正解はない。