映画「デイズ・オブ・グローリー」

 今日からブログのデザインを新しくしてみた。実のところ、昨日まで次の治療自己採血移植の治療に対して漠然とした不安を持っていた。大量の抗ガン剤を入れることによって起きるだろう副作用に対する不安・・・ようやく少しずつ回復している体力との比較を考えて、はたして次の治療で受けるダメージに耐えられるのだろうかという不安である。というのは次回の抗ガン剤投与の場合、ほぼ白血球をゼロの値までもっていくのだが、その場合感染に対してのリスクが非常に高まる。感染を防ぐため機械を入れて部屋をクリーンルームにする。また、感染もそうだが2次的な副作用も出てくるが、それに身体がついていけるのかという不安が強い。 これといった理由はないのだが、今日になって「もうここまで来た以上後戻りはない」という気持ちに切り替わった。「やろう」という気持ちが何となく出てきた。その不思議な気分転換にあわせてブログのデザインも変えたというわけである。

 外泊中に見た映画「デイズ・オブ・グローリー」について思うところが一日過ぎていろいろと出てきた。第二次世界単線前、フランスの植民地だったアルジェリアに住む貧しいイスラム教徒のアラブ人の若者達が主人公なのだが、彼らが戦争に参加する動機は「ナチスドイツと闘っているフランスに自分たちも力を貸して共に闘おう」というのが表面的な理由だが、参戦すればお金がもらえ、そのお金で少しでも貧しい母親を少しでも楽にしてやれるということが裏の本意であうことがさりげなく描かれている。彼らがヨーロッパ各地を転戦し、同じく闘っているフランス人たちと友情や愛情や心の絆等が生まれてくるのだが、結局昇進していくのはフランス人ばかりで彼らはその恩恵に預かることは出来ない。最後の最後にフランスが勝利し約束の恩給のようなものが支払われると政治決定されたが、その支払いは延期につぐ延期である。共に命をかけて戦った同士だったが「異教徒」だったという理由で見捨てられていく彼らの心情の奥深い所にキリスト教文化すべてに対する不信感・怨念というものだけが蓄積されていった。人間同士の信頼が信ずる宗教によって差別される時に感じる屈辱、これは根の深い所まで人を蝕んでいく。
 世界はグローバル化に流れているが、世界の人々にどこかでそのグローバル化に対して不信が拭えきれない。目に見えない所にダブルスタンダードが隠されているのを感覚で知っているからだろうと思う。この先世界が多極化に向かうのを留めるのはかなり難しいと思う。

 日本でもかっての植民地だった台湾、朝鮮の人々が日本軍の一員として戦った。その遺族たちが日本人並みの身分保障を求めて訴訟を起こしているが、時効などを理由に訴えを退けている。