ナカタさん

 ようやく落ち着いた感じが戻ってきた。白血球の数値も上がり、荒れていた胃腸も回復してきたのだろうと思う。食欲があるわけではないが、食事も以前のように無理しなくてもなんとか食べられるようになった。今日先生が来て「補助で入っている栄養の点滴は今日いっぱいくらいで止めましょう。又、熱も出ることもなくなったので、抗生剤も今夜で打ち切り」と言う事になった。一時外泊も考えておきましょうという話だが今週末なのか来週末なのかはっきりしない。今週末だとしたらもう2日程しかないことになる。この先、しばらく身体の回復のための期間が続き、折を見て次の治療の自己採血した血を移植するその時にもう一度抗ガン剤を入れることに移っていく。現在体重は、63キロほどしかなく、入院して以来最も軽い状態だ。ここ2,3日は再び髪の毛が大量に抜け始めている。次の治療まで出来るだけ体力を回復しておかねばならないとしみじみ思う。

 今日、村上春樹の「海辺のカフカ」を読了した。昨日も書いたが読み落としている部分が多くて、この作品の印象は前とはずいぶん違うものだった。少し説明過多で間延びしているなぁと思うところもあるのだが、村上作品としては大変わかりやすい部類に入ると思う。その中にある事件をきっかけに、それまでの記憶と言うものをなくしたナカタという老人が出てきて大変興味深い。

ナカタさんが何かを怖がると言う事はまずない。自分がいま危険にさらされているのだということは、もちろん理解できる。そこにいるのは(なにゆえか知らないが)敵対的で攻撃的な生き物であるのはおおよそわかる。しかしそのような危険は、ナカタさん自身の身に直接ふりかかった事として捉えられているわけではない。死は元々ナカタさんの想像の枠外にあるものだ。そして痛みはナカタさんにとって、実際にそれがやって来るまでは認識の外にあるものだ。彼には架空の痛みというものを想像することが出来ない。そんなわけで、ナカタさんはその日を目の前にしても特に怯えはしなかった。ただ少し困っただけだった。

 昔、オフはマロという名の犬を飼っていた。そのマロとの付き合いの中で、人間と動物の違いについて考えたことがある。まず、記憶と言う事に関すると犬には過去の記憶の集積と言うものがない。だからその場その場の恐怖と言うものがあっても、それが恨みつらみとして後で蘇ったりすることはないのだろう、と思った。又時間と言う感覚もなく多分犬には1日1日の区切りと言うものがなく、生まれてから現在までの長いぼんやりとした1日があるだけではないかと、連想したりもした。

 また今、病気のせいもあり身体と言う事についてもよく考える。身体と言っても大脳を除いての身体と言う意味だが。恐らく身体には記憶と言うものはないだろうと思う。それは大脳に属する事だろう。昔習ったことだが、身体は小脳や間脳と呼ばれる古い脳によって司られていて、その操作は臓器などから分泌される少量のホルモンによって左右されている。身体にとって最も大切なのは生命の維持と生殖だと学んだ記憶がある。そして、そのような事を考えていくと先に引用したナカタさんの存在がとても面白く思えてくるのだ。今オフの嫁さんも更年期障害があり、自分で自分の身体が思うようにいかずに困っている。これもホルモンの作用と脳が無関係であるという事の表れなのだろうと思う。本を読みながらそんなとりとめのないことを考えたりしている。