トリップ

 今回の抗がん剤治療の最中に、2回程軽くトリップした。半覚せい状態になって、いわゆる幻覚を見る状態が起きた。昔オフ達が若い頃、サイケデリック麻薬のLSDやメスカリンが流行ったことがある。残念ながらオフにはその体験はないのだが、よく当時の映画では空間が歪む映像として描かれていたりしていた。さて、今回のは例えば空間の場合、物の大きさが大きくなったり、位置が変わったりして出てきた。眠る前に見ていた。ベッドの上の方のアーム付きのダウンライトがついているのだが、これが手術室のライトのように大きくなって見えたり、入口に引かれているカーテンがベッドのすぐ横に迫ってきたりする空間の歪みとして出てきたりした。また映像ではなく、漫画のような画面が出てきたこともある。一番はっきり覚えているのはイスが何十個と積み重なり、十メートル程上のところで今にも全体が倒れてきそうに傾いている場面が出てきたり、画面だけでなくその画面が動いたり止まったり入れ替わったりと、とにかく普通の状態では決して見ることが出来ない幻覚だった。
いわゆるアーティストやクリエイティブな仕事をする人達が行き詰るとコカインや大麻に救いを求めるが、今回見たイスの映像などは普通では思いつかない斬新な絵であった。苦しい毎日だったが、そんな中で見たこれらの映像の数々は、夢を見た後のようにほぼ忘れてしまったが、ほんの少しだけいまだにはっきり覚えている。
十年程前、古い友人に会った時にこんな事を言われた。
 「駅で電車を降りて階段を上がってきたら、突然「××君、お久しぶりですね。相変わらずお元気そうですね」と大きな声を出し、大きな仕草で話しかける男がいて、一緒に上がってきた人たちは「なんだなんだ」とうさんくさそうな顔でじろじろ見ながら通り過ぎて行ったのでとても恥ずかしかった。男は完全にラリっていて飛んでいた。その男が実はお前だったのだが覚えているか?」と聞かれて全く覚えていなかった。オフはLSDやメスカリンは知らないが、当時、睡眠薬遊びというのが流行ってハイミナールという薬を一度に数錠飲んでラリっていた時期があった。


 上の息子のブログの中に死について、以下のような文章があった。

長く長く生きるということは、ただ、考える時間が間延びしていくだけだと思うようになっている。
指輪物語のビルボが指輪の力で長く生きたことについて、薄っぺらになっていく気がすると言っていたのを思い出す。
長ければ長いほど、感じることが薄くなっていく。
自分は何のために生きているのだろうか。

オフが、この指輪物語を読んだのはかなり古く、まだ20代の頃だった。ビルボのイメージは最近公開された映画「ロード・オブ・ザ・リング」を見て、なるほど絵にするとこういうヤツかと思った。当時、本を読んだ時は確かに不可解な生き物だなぁと思って読んでいたが、いわゆる指輪を支配出来ればすべての権力・栄光・財力等を自分の思いのままに出来る、それに囚われてしまった哀れな生き物であるが、同時に権力のメタファーとして置き替えながら本を読んでいたような気がする。

小説というものは、その人その人の読み方があり、どのように読んでもいいものであり、100人の人が読めば100通りの読み方があり、これが正しい読み方であるというのは決してあり得ない。作者の意図というものも、ほとんど無視していいというのが、小説の世界だと考えている。