家庭内介護

 昼食の後、嫁さんは父親のペニスに入っている尿パイプを薄い酸性の液を通して洗っていた。ちょっと前に洗面所へ行ったお母さんが戻って来ない。
 「アッチャン、今手が離せないから、お母さんを見てきて」
 「うん」と言ってアッチャンは洗面所へ向かったが直後、
 「そんなん 飲んだら 駄目やんか」と、洗面所の方からアッチャンの大きな怒鳴る声がしてきた。
行ってみると、お母さんがコップにハンドソープと水を混ぜて飲もうとしていたところだったらしい。これまでもこのように、ソースや醤油やその他のモノを飲もうとしたりしたことは度々あったし、紙おむつを便器に流して便器を詰まらせたり、無数のトラブルを起こしている。
 その後、リビングに連れてこられたお母さんは最初のうち小さくなって
 「怖い人がいるのよ、怖い人がいるのよ」としばらく繰り返して言い続けていたが、その内に昔あった話をもとにした怖い話を集めためちゃくちゃな物語をヒステリックに喋り出した。お父さんは傍にいるがそれには関わりたくないというように、見ていたテレビの音をわざと大きくする。洗面所から戻ってきたアッチャンは怒ったような膨れ面をして、自分の部屋へ入りドアをバタンと閉めた。家庭の中のそれまでの静かな雰囲気はたちまちなくなり、重苦しい空気が家全体を取り巻いてしまった。そんな重苦しい空気の中で、嫁さんは大声で叫び出したくなったと言う。

 お母さんは糖尿病から来る、認知症でボケている。それでも一時は糖尿病が足にきて壊死を起こし、足を切断しなければならない直前まで行っていたが、その頃から血液の粘りをただす薬が出てその点滴によって変色していた足の壊死は徐々に回復し、もちろん切断も必要なくなった。それが震災のさらに前の事だというから、もう10年以上経っている事になる。足だけではなく、脳にも血管の詰まりが起きていて、その頃から少しボケていたという。今もボケは少しずつ進んでいるが医者も驚くほど進行は遅く、かなりまともなことも、半分くらい言うまだらボケ状態である。家庭内で手厚く治療とケアがされているからだろうと医者は驚きながら言っている。娘である嫁さんは看護婦を30年近く務めており、医者による指示の元、家庭で点滴なども行える。又、父親も数年前に脳梗塞(のうこうそく)を患って倒れ、今は後遺症としてバルーンというおしっこの袋を腰にぶら下げて生活している。小便をしたいという感覚がなく、ペニスから管を入れてバルーンへ尿を抜いているわけだ。又、この父は心臓も悪くペースメイカーが入っている。そんなわけで父も母も今は介護度2の認定を受けていて週に何回か訪問看護師さんや介護の人が来てくれている。

 アッチャンというのは、1つ年上の兄であり、二十歳代から強度の躁うつ病にかかり、さらに統合失調症へと発展し、約20年程の入院生活をしていて、数年前ようやく家庭へ戻ってきて一緒に暮らしている。今はゴミを出したり、郵便物を取ってきたり、ちょっとした買い物等は手伝ってくれている。今では月に1回程の通院で診察を受け薬をもらっているくらいで、ほぼ日常生活に支障をきたすことはないが「お母さんはボケているのでどんなことがあっても怒ってはだめよ」と言ってあるのだが、とっさの場合そういう機転はきかないようだ。マァいたしかたないことだろうが・・・。

 よく言われる精神病の人達はオフの見るところでは、精神がおかしいというよりも、異常なくらい真面目過ぎるのである。1つのことに対して真面目過ぎて、それ以外の余裕をもった柔軟な見方が出来ない人達である。いわゆる車のハンドルならば、遊びがないガチガチの状態である。この手の人達は時々犯罪を犯し、怖がられたりしているが、それは彼らが外部の人たちからバカにされたり、笑い物にされたり、いじめられたり、むごい仕打ちを受けたりして、ある種の幻覚や幻想を持った時だけである。彼らから外部に対して攻撃を仕掛けるということはまずないと精神科医たちが言っているが、オフもその通りだと思う。本来なら余裕はないが真面目過ぎて、気が小さく大人しい人達なのである。

 今日のようにアッチャンが大きな声を出したのは、咄嗟に状況を認識する時の余裕の無さによるものだが、少し落ち着いた時に「どんなにおかしいことをしていても、頭からお母さんをしかっては駄目よ」と言うと、「うん、うん」とその時はよく認識している。
そんなアッチャンだが、月一回の受診の前になると大変緊張する。その日が実は明日であるが、天気予報を何度もチェックしたり、顔が強張ってきたりする。その分、それが終われば非常にリラックスする。


 そんな3人の家庭内で、介護や面倒を見ているのが、マンションの1つ上の階に住んでいる嫁さんの仕事である。介護するということは、今言ったようなトラブルが次から次と無数に起きるという事だ。そんな小さなトラブルが次々に積み重なり、それが澱のように溜まっていく。
新聞等では介護に疲れた老人による殺人のニュースなどが載っている。そのような大事件に至らないまでも、その直前やそれに近い所まで行っている家庭は無数にあるだろうと思う。

 65歳以上の老人がそれ以上の年齢の老人を介護している介護家庭の数が、現在でも半数近くあるという事である。

老老介護」、半数近くに=07年国民生活基礎調査厚労省
2008年9月9日(火)20:30

 65歳以上の高齢者が高齢者を介護するいわゆる「老老介護」の割合が、親族が同居して在宅介護を行っている世帯の推計47.6%に上ることが9日、厚生労働省の2007年国民生活基礎調査結果で分かった。介護する側が60歳以上のケースに広げると、04年の前回調査の55.9%から59.1%に上昇した。同省は「在宅での介護の担い手の高齢化と、世帯の小規模化が進んでいるのではないか」とみている。

幸い嫁さんは65歳以下でこれに当てはまらないが、今後10年以内で団塊の世代が65歳以上になると、この数字はまだまだ上がっていくだろう。これは介護する人も介護される人もほとんど年金だけでやりくりしていく家庭とみていいだろう。
そのような社会が来るのがもうすぐ目の前なのである。

今日はここまでにしよう。