ベニテングダケ

さて私事になるが、最近オフの周りの人達でガンになる人がやたら多いような気がする。まあ、オフもそういう年周りになったという事もあるが、それにしても多い。ガンに例えた椎茸も元気な若木には出ないが、老木や切り倒した木の枝や幹に生えてくる事が多い。人間もある程度の年を過ぎると、ガンがいろんな箇所に発生してくるのだと思う。それはまあ、ある意味では仕方のないことなのだが・・・
今予感としてあるのはそういうことに加えて、戦後生まれのオフ達の世代では、その前の世代よりもガンへの罹患率がこの先さらに高くなるのではないかと思っている。そう危惧するのは、オフ達の世代から色んな食品に化学的な添加物や防腐剤が使われ始めたし、農作物栽培には大量の農薬等も使われ、工場等から有害な公害物質がばら撒かれた。そんな中で育ってきたオフ達の世代は、前の世代よりもこの先ガンへの罹患率はさらに高くなるのではないかと危惧されるからだ。医学的な進歩によって日本人の平均寿命は確かに伸びたが、これを単にありがたいことだ、と受け止めていては大変なことになるかもしれない。
以下は、オフが時々読んでいるアクさんのブログからの抜粋である。

国民医療費がますます増額していくことが国の将来にとって問題となっている。高齢者の割合が増え、若年層が減少し、負担増が問題になっている。「後期高齢者医療制度」などという、おぞましい名の制度が新設される。終末期といわれる死の直前の医療費が大きな負担となっている。老人は老人同士で負担してくださいという制度なのだろうか(健保からの負担があるそうだが)。終末期医療費は老人の医療費の20%を占めるという。国民一人が一生使う医療費のほぼ半分が、死の直前の2ヶ月に使われるという。
(「Aquarian's Memorandum」http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2008/03/post_cf17.html

この文章は、現在の終末期医療に警告を発している久坂部羊(くさかべ よう)医師の著作(「日本人の死に時」幻冬舎新書、07年1月刊)に書かれている事をベースにしているらしい。

著者が指摘していることは多岐にわたるが、主なものは、以下の4項目にまとめることができるだろうという。

1)一般に長寿は良いこと、とされているが、必ずしもそうではない。長生きの最後は、苦しいものだ。悲惨ともいえる。長生きを美徳とする常識を変えるべきだ。昔のように、自然な死を迎えるほうがいい。

2)病気の治療と延命を何より大事とする医療のあり方は考え直したほうがいい。治療することでかえって死に至るまでの苦しみが増してしまうケースが多い。安らかな死を迎えることを手助けする医療へ、老人医療のあり方を切り替えるべきだ。

3)医療に延命を求めるより、死に時をわきまえ、それまでの充実した生を目指したほうがいい。

4)治療を受ける側と医療関係者がこのように考え方を変えることにより、医療・介護などの問題は、よほど良い方向に変えられるのではないか。

現在の社会保険制度、国民健康保険制度ともども破産寸前に来ている。この先、戦後の最も人口の多い団塊の世代が60代、70代となって彼らが諸々のガン等を多発した場合、恐らく現在の保険制度は破産してしまうだろう。高度な科学技術で開発された、ますます高額になっていく医療器械も一般の人が恩恵にあずかれるのは保険制度があってのことである。この先、1つのガンに罹って治っても年齢的に次のガンが待ち受けているというような老人ばかりの社会が来るだろうからだ。高度な医療技術の恩恵をあずかれるのは、お金持ちだけだという時代がこのままでいけば来るような気がする。


 初めての抗ガン剤を投与した時の話をしようと思う。
 オフは8月4日に入院し、8月8日から第一回目の抗ガン剤投与があり、それが4日間続いた。抗ガン剤を点滴で投与する時は、同時に免疫抑制剤であるステロイドも点滴する。例えて言えば、抗ガン剤はうつ状態にするのに対し、ステロイドは躁の状態にしてくれる。だからこれらの液を点滴している4日間は、気分はプラスマイナスゼロでさほど不快になることはなかった。ところが、ステロイドが先に終わるのだがその後から急激に不快感が現われた。頭が痛いのと重いの両方で、度の違い過ぎる眼鏡をかけ続けた時や、プラスチックの焼ける臭いを嗅ぎ続けた時のような、何ともいえない不快感である。おまけに、むかむかとした吐き気も襲ってくる。オフの場合、その頃骨の痛みが最高潮の時で、身体を横向けるにも痛くて出来ない状態であった。でも痛みは動いた時だけにあり、じっとしていれば少ないが、不快感や吐き気はじっとしていてもどうする事も出来ない。毒である抗ガン剤が身体に入った副作用と痛み止めとして飲んでいた麻薬オキシコンチンの副作用も加算されていたらしい。
とにかく時間が経つのが長く、時計を5分か10分おきに見ていたと思う。睡眠薬は出ていたが、ほとんど眠れなかった。全く今まで経験したことのないような苦しみで、夜中に「こんなんだったら死んでしまったほうが、よほどましだ」とまで思った。暗いトンネルの中へ入って、いつになったら出口があるのかわからない状態、不快感や痛みの上にそういう不安や恐怖感もあったと思う。
3日目の夜も眠れなかったが、夜中の1時過ぎから3時までの記憶がない。その間、2時間程眠った。緑の色が目の前に出てきた。砂漠のヤシの木が揺れているようだが木ではなく、緑色がゆっくりと動いているような気がした。何か砂糖菓子のような物があり、中は白く周りがうっすらと黒い。その時「これが本当の甘露というものですよ」とどこかから声がした気がする。それと同時に口の中いっぱいに甘くて命の源泉になるような味が広がった。その内に周り中が夜明けのような真っ青になってそこで目が覚めた。
夜明けだと思っていたが、夜明けにはまだ早く、夜中の3時だった。驚いた事に、それまで苦しめ続けられた不快感や吐き気が嘘のようになくなっていた。まだ体を動かせば痛かったが、不快感と吐き気だけはなくなっていた。
結局抗ガン剤の副作用は丸々3日間続いた事になる。その後も痛みは続いたが、身体を動かす時だけ一時的に痛いだけだった。痛みや不快感は個人差がある感覚だと思う。自分で分析するならオフは不快感には非常に弱く、痛みには強い体質を持っているという風に今回のことで思えた。

 オフにとってのキノコのとっておきの話をする事にしよう。

今の嫁さんと知り合う前、ヤフーの出会いサイトで知り合った、とある女性としばらく付き合っていたことがある。彼女は山登りやトレッキングが好きで、たまたま住んでいる場所も近かったこともあり、日時を合わせて山登りに出掛けた。山登りに出かけた後、何度か温泉に入りに行ったりもしていた。
そんなある時、登山の途中で一面キノコが生えている原っぱに出会った。そのキノコは残念ながら毒キノコだというのは誰が見てもすぐわかるような、毒々しい赤色をした「ベニテングダケ」であった。それを見てオフは「調べて知っているんだが、このキノコは毒キノコで幻覚を見たり吐き気がしたり腹が痛くなったりするが、これを食べて命を落とすことはないらしい。少々の幻覚なら見てみたいと思っていたんだ。一人では怖いから、相手がいればこのキノコを少しだけ食べてみたいと思っていたんだよ」と話した。それを聞いて彼女はしらばらく考えていたが「じゃあ一緒に食べようか」と答えた。
ところがそれを聞いて慌ててしまったのはオフである。さっき言ったことは、半分以上本気ではなかったからである。なんかあれだけの事を言っておきながらやっぱりやめた、と言うのは男として恥ずかしいような気がしてしばらく迷ったが、「腹が痛くなるのは嫌だからやっぱりやめておこう」と逃げた。
彼女の言葉を聞いた時オフはえっと思った。人ってわからないものだなあ。何故なら、そんな答えが返ってくるとは思っていなかったらであり、そんな彼女の過激さが少し怖いと思った。
その後、日増しにオフに対する態度が積極的になっていた彼女に対しては意識的に逃げるようにして距離を置き、ほんの数カ月で二人の関係は終わってしまった。
キノコに関しては、そんなアホな話もある。