ガンは椎茸?

 今日は昨日の話の続きである。

 さて、人間の体に出来る悪性腫瘍すなわちガンというのは一体何なのだろう。
オフの血液中にある小さな形質細胞に出来ている小さな小さな腫瘍も、ガンであると言われている。人間の身体の全ての正常な細胞は、遺伝子によって死ぬ為の手順のプログラミングがされている。(これをアポトーシスと言う)いわゆる細胞は、遺伝子に死のマニュアルを持って生まれてきているのである。ところが、人間の体にできる悪性腫瘍といわれているガンは死なずにどこまでも生き続ける。そのおおもとの人間の体が滅びる(アポクライシス)まで生き続けるシステムになっている。ガン化した形質細胞が死なずに一方的に何万、何百万と血液中に増えてしまうものだから、多量のガン化した形質細胞によって骨が破壊されてしまう。これをどう考えたらいいのだろう?
本体が死んでしまえば、自分たちも亡びざるを得ない。言ってみれば馬鹿なガンであるが、これをどういう風に理解したらいいのか。
かなり乱暴だがオフなりに単純化してこのように考えている。

「木に椎茸が生えるようなものだ。」

椎茸は木の栄養分を吸って生まれ育ち、木の栄養分がなくなるまで発生し、ついには木と共に滅んでしまう。ガンとはそのようなものだと考えている。でも確かに木にとっては迷惑なものだが、大自然のサイクルの中で考えれば、土の中から出てきた木を分解して、最後に土に返すサポートをするのは椎茸の役割でもある、という考え方も出来ると思う。また話は逸れるが、椎茸はオフの大好物だ。椎茸というより、キノコ類はなんでも全部好きである。

昔住んでいた田舎の家の周りの芝生に、少し紫色をしたキノコが雨上がりにたくさん出たことがある。その時友人たち数人と鍋を囲んで酒を飲んでいたのだが、「そうだ、そうだ庭にキノコがいっぱい生えていた。あれを食べよう」と言ってキノコを取ってきて「ほら、美味しそうだろう」と言いながらその薄紫色のキノコ鍋の中にたくさん入れた。
ところが鍋の汁が、キノコを入れた後、急に黒くなってしまった。友人たちは皆、顔を見合わせるばかりで誰もその鍋に箸をつけない。一人オフだけがそのキノコを鍋から取って食べていた。
その頃まだ元気だった前の女房にも「おいしいからお前も食べろ」とオフが言うと、嫌そうだったが彼女もほんの少しだけ食べた。それを見ても友人たちはやはり誰も箸をつけない。お互いに人の顔ばかりをじろじろと見ている。今にでも何かとんでもないことが起こるのではないかと、半分期待していたのだろうか・・・全く失礼なヤツらだ。
その後も、その友人たちと鍋をするたびにこの話題で盛り上がるのだが・・・実はこの話には前段があるのだ。もうそろそろ時効だと思うから、ここらで明らかにしておこう。その日の前日にオフはたくさん出たキノコをほんの少しだけ酢の物にして試し食いをしていたのだ。もちろん妻もそれは知っていた。
今となってはこれも笑い話である。

今日はここまでにしよう。