死は死んだ・・・

  月曜日に抗がん剤ベルケイドが点滴され、前後にデカドロン40錠を飲んだ夜は比較的ウトウト眠れたが、次の日(火)の夜がよくなかった、よく眠れなかったのだ。 眠れないと言っても頭がパキパキになって眠れないのではなくて、どこかドョ〜ンとした曖昧な眠れなさであった。 暗いベッドで悶々としていたがフト食堂の冷蔵庫に預け仕舞ってあるプリンのことを思い出した。 それを食べるとお腹が膨れてそのまま眠れるのではないか・・・そう思うとジッとしておれなくなり、ステーションの看護師のこんな夜中に何処へ行くの?と不審な視線を感じながら、食堂の冷蔵庫から取り出してきてベッドで一人プリンを食べた。 家にいれば缶ビールのプルトップを引いているだろうが・・・六十歳過ぎたオヤヂが夜中に甘いプリンとは何んなんだ・・・と自分でも苦笑しながら・・・スプーンひと匙ひと匙ですくって食べる。 だが・・・眠れなかった(笑) 
 今日木曜日二回目の抗がん剤が入った。 その点滴前後にまたデカドロン(ステロイド)40錠を飲む。 この後、来週再び月曜日と木曜日に抗がん剤が入り、その次の週はお休みで合計三週でワン・クールの行程がようやく終了する。 現在、当病院では25クールに入って治療が続いている人がいるのだそうだが、その人がいまのところ最長な治療経過を経ているということだ。 これを普通の年月に直すと、約2年弱治療が継続しているということになる。 多発性骨髄腫という病気は症状に個人差が極めて大きく出ると言われている。 これまでのオフの病状の進行などをみると、いったん病状が現われると進行が劇的に早いので、このよき症例に横並びと考えることは無理だろう思う。 そうすると少し甘く見積もってところその半分からそのまた半分の間がこの治療の効果期間と見ておくほうが、後でガッカリしない範囲ということになるのだろう。
 シェークスピアハムレットの中だったと思うが、「死は死んだ 生は色褪せた」という語呂が良い対のセリフがあって、若い頃この語句が妙に気に入ってしまい、ことあるごとに友達などにつぶやいて煙に巻いていたことがあった。 意味は<(ハムレットにとって)死はもう死んでしまって怖くも何ともなくなってしまったし、生きることも色褪せて何の魅力もなくなってしまった>ぐらいの意味だろうと踏んでいた。 ところが最近このセリフが一層身近に感じられるようになってきた。 青年期特有の気障な自尊心などはすでにないし、生意気にも<生は色褪せた>などとはとうてい思わないが、<死は死んだ>という言葉に妙なしっくりとした親近感を感じる。 体調が特に悪くないのでもう病院生活に少し退屈しはじめている。 だとしてもその日は日一日遠のくのではなくて、近づいてきていることになる。 そろそろそのことについて思いつくまま書いていくころなのだろう。

 オフは子供の頃のある時期<死>がむやみに怖かった。 夜布団の中で死の事を思うと、もう怖くて怖くてたまらなくて、毎夜一人泣いていたのではなかったかと思う。 それは自分がいずれ、あるいはもうじき死ぬということの恐怖であったが、同時に祖母や祖父が明日の朝にも死んしまっていて、自分が一人残されているのではないか、という恐怖でもあった。 オフはいろいろあって両親がオフを残して家を出ていき、祖父とその内縁の妻に育てられた。 その祖父が半分騙されて商売に失敗した時、借金苦の行き場のない苦しさからついつい出た言葉だったと思うが、 「お前を育てる筋合いはない、いつでも両親のところへ行きたければ行け」 と言われていた時期があった。 小学生高学年だったが、そう言われても子供だからもちろんどうする事も出来ないので、一人で家出のまねごとみたいことを繰り返していた。 そのモヤモヤした時期の少し前が死について強く囚われた時期だったと思う。
 ところが、その死がむやみに怖い時期が嘘のように霧散してしまった。 その後逆に死に対して親和感みたいなものを持つようになった。 かと言ってそれは自殺に憧れるというようなことではなくて、もし寿命というものがあるとするなら、それは長い方が短いよりより良いというような曖昧な感じ・・・むしろ後に残されるより先に死んだ方が勝ちなのではないか、といった漠然とした死に対する強がりのような感じと同時にどこか親和的な感覚が同居していた時期が続いた。

 世に四苦八苦という言葉があるが、この言葉の出所は仏教である。 最初の四苦というのはいわゆる生・老・病・死のことである。 ちなみにそれに続く苦は、愛し合うもの達でも何時かは別れねばならないという「愛別離苦」(あいべつりく)の苦しみである。 続いては「怨憎会苦」(おんぞうえく) 憎んでだり、恨んだりする相手に出会うことが避けられない。 次に、求めても得られない、または得られないものを求めてしまうという「求不得苦」(ぐふとっく)などなどが続く。
 それはそれとして、今にして思えば子供の頃オフが怖がった死は、死の苦というより、むしろ四苦の中に最初に出てくる<生>の苦から来ていたような気がする。 それと同時に子供としてはかなりマセタ認識だったろうが、人は孤独なものだ、そして自分もまた孤独なんだ、という認識だったように思う。
 そしてその生の苦と孤独を知ることで子供ながら何処かでほんの少し和解したのだと思う。 それを少し大げさな言い方をすれば軽い悟りを得たようなものだったと言えるような気がする。 子供が悟りなどと・・・言うムキもあるだろうが、苦楽を積んで齢を重ねていようと無垢な子供だろうと、人は悟る時は悟るものであると思うのである。
 子供の頃に既に死に対して親和感みたいなものを感じていたが、それがここへ来て病気が再発して残りの余命というものが目前に迫ってくると一段とその親和感が強くなってきた。 それをもっと具体的に表現すれば、<死は死んで>しまって怖くなくなったよ、ということなのであるが・・・この話はこの後ももう少しゆらゆらと続いていけるだろう・・・