癌は病気ではない 

 さて昨日の大げさな発言<癌は病気ではない!>についてこれから書くことにする。
 前にも書いた事だが、人間のすべての細胞には古くなった細胞から順次死んで廃棄されるのだが、その手順が遺伝子の中にあらかじめプログラミングされていて、その手順に沿って細胞は死んでいく、このことをアポトーシスと言う。 一方ガン細胞の遺伝子には細胞が自己死するアポトーシスのプログラミングがされていないことがすでに知られている。  つまり癌細胞というのはいったん生まれた後は死ぬことなく、生き 続けるように出来ている細胞であると言うことが出来る。 しかし癌細胞がその栄養源を吸収している母体であるその人間個人が死んでしまうと、さすがの癌細胞もそれ以上栄養補給が出来なくなり、癌細胞も死んでしまう。 また、前回たとえに出した老木などに寄生して木を分解消滅させる椎茸などの場合は木からの補給がなくなる前に、菌糸をあたりに放出したりしてその子孫を残す手だてを持っている。 だが、癌細部の場合は人間個体が死んでしまうと、もうそれ以上生きることが出来なくて自身も一緒に死んでしまうのだ。
 この事実をどう考えればよいのだろうか?
 さて、この問題へのオフの結論を最初に言ってしまうと、癌細胞というのは我々人間個体を抹消するために派遣された<殺し屋>である、ということが出来るだろうと思うのだ。 殺し屋!・・・では、その殺し屋を派遣したのはいったい誰なのか?・・・それはその人個人の身体であると思うのだ。 つまり身体は自分の身体も含めてその人間個体を死なすために癌細胞という殺し屋を派遣するわけだ。 そんな馬鹿な!という話なのだが、オフの結論はそうなのである。
 それでは次に何を根拠にして身体は自分をも含めて個体を死なそうとするのか?という問いだが、これには残念ながらオフにもわからないと答えるしかない。 ただ言えるのは、癌細胞というのは身体に組み込まれた個体の死(アポクライシス)のシステムに組み込まれている役割を担っているモノで、その役割こそが<殺し屋>なのである。 であるからこそわざわざセンセーショナルに癌は病気ではないなどと書いたのである。 つまり病気というのは一般的にいろんな原因でそれそれの身体の不調を起こしていたり、組織、器官などの機能不全を起こしている状態のことを差している。 もちろんその病気や臓器の機能不全がもとで人は死ぬ場合ももちろんあるが、癌による死とはそれらは全く別モノである。 人は病気で死ぬ事もあるが、治療や自己回復力で治る場合が結構多い。 だったら癌も治療を受けることで治るではないか、という反論が聞こえてくるが、たしかにそうである。 いったん肉体に癌が出来て、その後何の治療もしないまま、その癌が人の自己回復力だけで消えてしまうことがあるのかどうかについてはオフは知らない。 それはもしかしたらマレにあるかもしれないが、それについては今回考えからとりあえず除外することにする。 次に治療をして癌が治る、これはたしかに良く訊く話である。
 癌の治療法で今日広く行われているは以下の三通りである。 ①手術で癌細胞を切除してしまう。 ②放射線照射で癌細胞を焼き殺す。 ③抗がん剤で癌細胞を殺す、だいたいこの三通りかその組み合わせかである。 このいずれの治療法も身体に出来た邪魔者である癌細胞を有無を言わせず切除したり殺したりして治療と言っているのである。  派遣された殺し屋に殺される前にそいつを殺してしまえ、とばかりの乱暴な方法、言ってみれば殺し合いなのである。 決して身体の不調や機能不全を人の持つ治癒力に薬などの力を借りて回復させて以前に戻す、と言った本来の意味での<治療>ではないのだ。 そうなってくるとますます知りたいのは殺し屋である癌がなぜ生まれてくるのか、である。 
 国立がんセンターのがん対策情報センターの出しているがん情報サービスによると ≪がんになる原因については明らかにされていませんが、骨髄腫細胞にはさまざまな遺伝子異常が生じていることが知られています。この多くは、免疫グロブリン遺伝子の存在する14番染色体の転座や、他の染色体の数の異常によるものです≫ とある。 
 現在は骨髄腫の場合やっと遺伝子の14番染色体が関わっていることが分かった程度である。 それではすべての骨髄腫がそうであるかというかと、どうもそうでもないらしい、それでは説明が出来ない例もあるらしいのだ。 と言うことは、まだまだ分かっていない、と言うことだろうと思う。 さて、次に殺し合いと書いたが、誰と誰の殺し合いなのか? あるいは自分の身体が派遣する殺し屋が何故怖いのか?と言うことに移ろう。 殺されることを怖がって拒否したいのは当然のことだが自分自身である。 これは自我と言うことも出来るし、脳であるとも言うことが出来る。 すると脳も自分の身体の一つの器官ではないか、という反論が聞こえてくる。 もちろん脳も胃や肺、心臓などと同じ身体の一部であり器官である。 しかし、人間の場合この脳が異常に発達して自分を自分と捉えているのであり、それゆえ<我思うゆえに我あり>で今や人を動かしているのは脳なのである。 と言うことは身体が派遣した殺し屋を怖がり、殺し合いをする一方の側は脳であると言える。 人以外の動物の場合、本能にもとづいて行動が決定されているが、それに対して人の場合はその行動はほぼ脳が支配しているのである。 このことを岸田秀氏は唯幻論を唱え、人間は本能は壊れた動物であると分かりやすく解説している。 人間イコール脳であるのに対して、人間の脳以外の身体というのはいわば自然である、と言ったのが養老孟司氏である。 自然のありようの中で動物たちが本能に基づいて行動しているのに、脳は自然を知ろうとし、さらにそれに手を加え、自然を変えることまでしてその上に君臨しようとしている。 その脳の一番恐れるのが個体である人の死である。 その人の個体が死ねば当然のことながら脳も死に、その人固有の自我はその瞬間消滅してしまう。 そのことを知るからこそ、脳は普段でも自己の死を思うだけで恐ろしく思うのである。
 −続くー