クレタ人の嘘

 イスラエル最高の文学賞エルサレム賞が15日村上春樹氏に贈られた。
 エルサレムで開かれた授賞式の記念講演で、村上氏はイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすいメタファーとしての卵に例えた上で 「私は卵の側に立つ」と述べ、暗に軍事力に訴えるイスラエルのやり方を批判した・・・とある。
 http://www.asahi.com/culture/update/0216/TKY200902160022.html?ref=reca


 まず面白いなぁと思ったのは村上氏がスピーチの枕として 「自分は小説家であるが、小説家とは嘘をつぐむものである。 その嘘つきである僕が今日は真実の話をしますと」 と語ったところである。  村上氏独特の少し回りくどいようであるが、じつは的確な言い回しである、その部分を以下に取り出しておく

 ≪そう、僕はイスラエルにやってきました。小説家として……「嘘」を紡ぐ者として僕はここに来ました。 「嘘」をつくのは小説家だけではありません。政治家も(大統領閣下、すいません、外交官もまた、嘘をつきます。 けれど、小説家と彼ら(政治家や外交官)のつく「嘘」にはいくつかの違いがあります。 僕たち小説家は嘘をついても訴えられることはないし、その嘘がより大きければ、多くの賞賛を得ることができます。 そしてまた、彼らと僕たちの「嘘」の違いは、僕たち(小説家)の嘘が、時に真実を照らし出す一助になることにもあります。 真実をつかみ取ることは非常に困難なことです。 ですから僕たちは、その真実を「フィクション」の世界に作り替えるのです。 本日、僕は「真実」を話すつもりです。 僕は1年のうち数日だけ、嘘をつかない(小説を書かない)日があり、今日はそのうちの1日なのです≫ なお村上氏のスピーチの日本語訳は以下で読める。
 http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090216/1234786976
 
 彼はここでジレンマの例として有名な、嘘つきのクレタ人が私は嘘をつかない、と語った、とある例の<クレタ人の嘘>の話を枕として使っている。
 村上氏のスピーチに関しては、Hatenaのブログでさっそく的確な評を書いている人がいた・・・
 http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20090216#p2
 ここでは、ほぼ言いたいことを言い尽くされていると思う。

  21世紀に入ってまだ数年しか経っていないが、9・11事件と今回のリーマンショックに始まる経済不況を経て20世紀とは流れが変わったなぁ、とことさら強く感じる此の頃である。 もう元には戻らない、過去の成功体験をもう一度取り返すことだけに拘っていると、この先ますますおかしなところへ行ってしまうような気がする。 昨日発表された日本のGDPについて、そんな直感をベースに書くつもりだったが、一日空いてしまうと言いたかった肝心の論点ががボンヤリとしてしまった。
 簡単に要約すれば、またまた経済対策として緊急的に補正予算を組むという話になるのだろうが、ロスト10年とか言われているが基本的にデフレに即効的な特効策がないことが明らかになったのだけは確かなのだ。 だったら下手に借金をしてまで効果の出ない対策をするよりもジッとしている方がまだマシだ、と言いたいのだ。 果報は寝て待て、ではないがソッとしていれば、その内に時代のほうが動いていろんなことが明らかになってくるものである。
 GDPの数字が我々に教えているのは、日本が低金利政策を取り外需を頼りに景気を浮揚させて来たツケここへ来て明らかになったと言う事なのである。 この急激な不況はそのツケが目の前に具体化したということなのだ。 そんな中でさらに対策規模を大きくすれば結局赤字国債増発は避けて通れない訳である。 これ以上将来に向けて借金を積んで財政を逼迫させることはないし、それはきわめて危険なのことである、そんなことなどなどを言いたかったのだった。 とにかくダウンサイジングなのだ、これだけは確実なことなので、出来るだけ無駄なことをしないで当分静かにしているこれが今の大切だろう。