狂乱的な殺戮、暴行・・・

 体調は悪くない。 終日、「双調平家物語・三巻」を読んでいた。 ようやく話は大化の改新から壬申の乱を経て大宝律令が出来て、これから徐々に藤原氏全盛時代へと向かうところだ。 律令の律とは言ってみれば刑法のことで、それ以前は日本には文章化された刑法がなかったことになる。
 かと言って罰則は無かったかと言えば、おそらく民間に伝えられていた私法的な罰則はあったのだろうと思う。 まあ、それはそれとして朝廷の上部の政治の歴史はほぼ謀反や反乱の繰り返しで、これは一種のクーデターのようなものだから、殺した側の罪が問われることはほぼ無かっただろうし、殺された側は殺され損のような状態だったのだと思う。 

 スタンリー・キューブリック監督の映画「2001宇宙の旅」の始まりところろで類人猿のような動物の集団が出てきて、真ん中の水溜りをめぐって相争う場面がある。 何もこのような古い時代のことではなくても、たった今2009年の現在でも、パレスチナガザ地区ハマスイスラエルの軍が相争っている。 この争いの兵力差は圧倒的で、その死者数は500人対6人(うち2人は味方による誤爆)でイスラエル人によるパレスチナ人への虐殺と言ってもいいような状況を呈している。 第二次世界大戦中にナチスによりホロコーストにあったユダヤ人だが、昨今の狂気じみた戦闘行動を見せつけられると、ユダヤ人、お前たちも!・・・と言いたくなってしまう。
 とにかく現人類ホモサピエンスは相争うことが大好きな種であり、ホモサピエンスが地球上に出現して以来絶え間なく相争って来ていたのだと思われる。 たしかに争い、戦闘はそれに参加する個々人を極端な興奮状態に引き込むだろうし、それはあたかもそれが祝祭状態のようにだ。 同じようにオスにとってメスへの集団的な性的な暴行陵辱などの時も同じような興奮をもたらす。 おそらく少し古い時代の戦争では勝者による敗者からの略奪と同時に、敗者側の女への集団的な陵辱、暴行が当たり前のように行なわれていただろうと思う。 これも半狂乱的な様相を呈していたのではないだろうかと思われる。 そのような記述がたしか「ゲド戦記」の中にもチラリと出てきていたと思う。
 一般的にこの地上のホモサピエンス以外の動物種は生命を維持するため以外のむやみな殺戮を回避するようにインプットされている。 争いの中でい相手がギブアップの合図をすれば、それ以上の必要なのない殺戮は行なわないで争いはその時点で終了するのだが・・・ 
 話は飛んでしまうが、また今からわずか四百年ほど前のことになるが、関が原の戦いの時に、島津軍の中に当時薩摩隼人と呼ばれていた縄文人の生き残りのような異集団があって、彼らは倒した敵方の兵の腹を掻っさばいてその肝臓を取り出しそれにむしゃぶりついていた、と言う薩摩軍の将の記述も残っているという。 この記述は一見残酷なように見えるが、人の肝を食べるにしても腹一杯になればそれ以上食べれないだろうから、まだオフ的にはこれは許せるなぁと思ってしまうのだが・・・ 
  また昨日のネアンデルタール人の話に戻るが、彼らの便からヘモグロビンが検出されたとあって、ここからネアンデルタール人がカ二バリズムの習慣があったと結論付けていた。 これに関してはオフはホモサピエンスだろうがネアンデルタール人であろうが、食い物がなくなるというように状況が逼迫してくれば、同じことが起きるだろうと考える。 おそらくその当時のネアンデルタール人はそれほど状況が逼迫していたのだろうぐらいに考えることで事足りると思うのだが・・・。 一方「筋肉の成長」「脳の発達」「攻撃性の増加」などに動物性のタンパク質が重要な役割を果たす、と言う学者の説もあるのだが・・・ウ〜ンこれについては少し考えてしまうよ。
 自らが生きるために最低限の必要に駆られてではなくて、半狂乱的な殺戮のための殺戮に乱舞狂喜する性質をホモサピエンスはその根底に持ってこの地上に出現してきている。 そのような因子を持っているからかどうか分からないが、この種はこれまででは考えられないほどの異常なスピードで進化を遂げてきている。 このことにはオフにはまったく関係ないとはどうしても思えないのだが・・・われわれはそのような資質を内部に持って今生きてきる種であることだけは、けっして忘れてはならないだろう・・・ぐらいのところで今日の話を落ち着けて置こうと思う。