記憶

 一昨日須磨のマンションから病院へ来る時、オフが玄関のタタキへおりてから車の鍵がない嫁さんがと言い出して、各部屋を行き来して探し始めた。
 彼女にとつてこのようなことは決して珍くない、これまでもよくあったことなのである。 あたふたと捜している時間が無駄であるから鍵なら鍵をここに置くと、決まった置き場所を決めて、必ずそこへ置くようにしたら…と前にも思い余って注意したことがある。 そしてその後玄関の一隅に鍵を置く場所はココよと決められたのだが、今回はそこに鍵が置いてなかった。 
  どちらかといえば嫁さんはオフより記憶力がよい方で、過去のことなども何を言ったかその内容だけでなく言葉使いまでよく覚えているほうである。 その記憶力の良さで今まで来れたのだろうが、寄る年には勝てないというか、最近はめっきり忘れっぽくなってきている。 ここのところオフの入院や、お母さんの検診などで疲れていることもあるのだと思うが、物忘れが少し目立つようである。 玄関で待つオフもその内にイライラしてきてしまい、それを口に出して言わないまでも、それとなくイライラが嫁さんに通じてしまったようだ。
 その後で、とりあえず鍵のことは横並びのフックを買ってきて、玄関内のよく目に付く箇所にそれを取り付け、そこへ鍵を掛けるようにするという事で落ち着いたのだが・・・ 病院へ着いてから彼女は、これまで何度も注意されていながら、なんでまた今度も自分はダメなんだろうと・・・言いだして落ち込み始めた。
 
 さあ、大変である・・・これはウツの兆候である。
 彼女は片頭痛で脳外科の医者に診断を受けている。 またそこで更年期障害として同時に処方されている薬だが、抗ウツ剤、安定剤、睡眠薬(ともにごく軽いものだが)それを飲むようにすすめる。 どういう訳か鬱の症状のある人はそれが軽いものの場合、まだ大丈夫だ、と言って薬を飲むことを嫌がるようであるが…軽いところでで薬を飲むと飲まないのでは後になって大違いである。
 自らもうつ病患者であったドクトル・マンボーこと北杜夫氏も、とにかくウツだと思ったら薬を飲んで布団をかぶって寝る、これしかないんだ…と言っている。
 
 イライラすると言えば、オフの入院が決まって最後に姫路へPCを引き揚げに行った時、嫁さんの車に機器と一緒にパソコンの台をも積み込もうとして、それがそのままではトランクにも、後ろの座席にも乗らないことが分かった時は、オフは急にイライラしてしまった。 身体が痛くて辛いということもあったが、電動ライバーでパソコン台のビスを八つ当たり気味に一本一本を外しながら、イライラしていた。 それ以外の時では最近は自分でもかなり気が長くなってきたなぁ…と思ったりするのだが、体調が悪い時などはそれが元に戻ってしまうみたいだ。
  
 話は飛び飛びになるが……モノゴトを記憶する場合だが、オフの場合はその場のおおよその雰囲気とか、おおよその内容をつかんで記憶しているような気がする。 つまり、相手の言った言葉などは言った具体的な言葉そのものは忘れてしまい、おおよこういう事を言ったなぁ、というふうに記憶しているだけである。 だから記憶を呼び起こして組み立てるときに、かなり自分に都合よく組み立ててしまっていることが多々あるような気がする。
 嫁さんの場合は、その時に相手や自分が言った言葉そのものを、そんぐりその時言った通りに思い出してくる。
 このあたりは脳の記憶の仕方の違いだろうと思うが、世の中には本を読んでも、あたかもそのページをカメラに写し取ってしまうように記憶できる人もいると言う。 そして後で記憶を引き出す時に、その写し取った写真を見るように次々に思い出せると言うことだ。 また、一度聞いただけで、そのまま忘れずに記憶できる人もいると言う。 そんな人は学校の勉強も予習復習等は必要なく授業だけで十分だということなのだろう。

 そのような違いはもちろん天性の場合もあると思うが、全部そうかと言えばそうでも無くて、これまで自分が育ってきた環境の中で、自我を育ててくるその時々に自分なりに獲得したり、習慣付けたり、切り落としたりして獲得してきた面もかなりあるような気がする。